横山町・八日町の商店街 —— デパート戦争から空き店舗対策の現在まで
甲州街道沿いの横山町・八日町には、かつて15店以上のデパートが集まっていました。なぜそこまで集積し、なぜ次々と姿を消したのか、そして今の街はどう向き合っているのかを辿ります。

この記事の目次
甲州街道沿いの横山町・八日町には、かつて15店以上ものデパートがひしめいていました。まるき百貨店、イノウエ百貨店、伊勢丹、西武、大丸——名だたる百貨店が競うように出店した通りに、しかしその大半は10年、20年という単位で姿を消していきます。この先では、なぜこれほどの数のデパートが一つの街道に集まり、なぜ次々と撤退していったのか、そして空いた店舗と今の街がどう向き合っているのかを辿ります。
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甲州街道の本宿から、近代の町へ
横山町・八日町の商業の歴史は、江戸時代の宿場町にまでさかのぼります。甲州街道には「八王子十五宿」と呼ばれる宿場群が置かれ、そのうち横山宿・八日宿は「本宿」としての役割を担っていました。毎月の市日には多くの人と荷が行き交い、甲州街道における物流・商取引の中心地として発展していきます。
横山町という地名自体、滝山城・八王子城の城下町時代を経て、江戸期の横山宿に由来するものです。明治15年(1882年)7月の町村分合で「八王子横山町」に改称され、さらに明治22年(1889年)4月1日の町村制施行によって八王子町が成立し、現在の横山町の町域が定まりました。同じ明治22年には甲武鉄道(現在のJR中央線)が開通し、甲州街道と八王子駅との間にも新たな人の流れが生まれます。この鉄道開通こそが、現在まで続く中心市街地の骨格を形づくった出来事でした。
宿場町として物流の要だった横山宿・八日宿が、鉄道の開通を経て近代の商業地へと姿を変えていく——この土地の性格そのものが、後の「デパート戦争」を呼び込む下地になっていきます。
空襲で焼け、区画整理で骨格が変わった街
その中心市街地は、昭和20年(1945年)8月2日未明の八王子空襲で一度、灰燼に帰します。八王子駅周辺、横山町、八日町を含む市街地の大半が焼き尽くされ、江戸期から続いてきた街並みはここで大きく途切れることになりました。
戦後まもない昭和23年(1948年)、市は戦災復興土地区画整理事業に着手します。対象となったのは駅の北口・南口、そして八日町周辺の3地区でした。駅前広場や、甲州街道と駅とを結ぶ大通りなど、現在の街路網の骨格はこのときに整備されたものです。戦前の狭隘だった街路が拡幅され、より広い敷地と街路条件が生まれました。
この区画整理がなければ、後にデパートが相次いで進出できるだけの敷地は確保できなかったはずです。焼け跡から立ち上がった街路網が、そのまま次の時代の舞台装置になっていきました。
八日町の「デパート戦争」——15店以上が競った時代
区画整理を経た八日町・横山町には、昭和30年代から40年代にかけて、地元資本・大手資本のデパートが次々と進出します。最盛期には駅周辺に合計15店以上の百貨店・大型店が集積したとされ、この時代は後に「デパート戦争」と呼ばれるようになりました。
口火を切ったのは、昭和35年(1960年)12月10日に八日町で開業した「まるき百貨店」です。八王子で最初の百貨店であり、屋上に観覧車を設置するなど、当時としては先進的な集客施設を備えていました。しかし昭和43年(1968年)には閉店し、跡地には岡島百貨店が「八王子岡島」として入ります。
続いて昭和38年(1963年)10月、同じ八日町に「イノウエ百貨店」が開業しました。屋上遊園地とお好み食堂を備え、食品から洋服・貴金属・呉服・おもちゃまで、東京のデパートに準じた品揃えで八王子の人々を集めます。しかし昭和46年(1971年)に閉店。閉店時に使われていた灰皿や湯呑みなどの什器は、現在も八王子市郷土資料館に保管されており、中心街が最も繁栄していた時代の資料として扱われています。
伊勢丹八王子店は昭和44年(1969年)9月13日、横山町の甲州街道沿いに開業しました。地下1階・地上7階、延床面積約6,000平方メートルの中規模店舗です。八王子は織物のまちとして呉服取引を通じて伊勢丹と縁が深く、人口増加を背景にした出店でした。ところが昭和54年(1979年)2月13日、開業から10年足らずで閉店しています。
昭和45年(1970年)には西武百貨店八王子店が駅前に開業し、以後23年間営業を続けました。昭和47年(1972年)4月には大丸八王子店が市内3番目の百貨店として開業しますが、昭和58年(1983年)のそごう八王子店開業や大丸自身の大阪・梅田店開業に伴う資金負担が重なって経営が悪化し、昭和60年(1985年)8月、累積赤字約50億円を計上して撤退しました。
15店以上が集まったこの通りで、伊勢丹は10年足らず、大丸は13年で姿を消しています。一つの街道に集積した店が、次々と入れ替わっていく——それが「デパート戦争」という言葉の実態でした。
そごうという駅ビル時代への交代
デパート戦争の最終局面で登場したのが、そごう八王子店です。昭和55年(1980年)8月1日、国鉄が駅ビル運営会社「八王子ターミナルビル株式会社」を設立し、昭和57年(1982年)にそごうが核店舗として出店を決定します。
昭和58年(1983年)11月1日、八王子駅北口の駅ビルに「八王子そごう」と専門店街「八王子ナウ」が開業しました。売場面積35,538平方メートル、地上11階・地下1階という、八王子駅周辺では最大規模の百貨店です。駅直結・大規模というこの業態の登場は、甲州街道沿いに立地していた既存の個店型デパートにとって決定的な競合要因となりました。実際、大丸はそごう開業のわずか2年後に撤退しています。
そごう八王子店は平成24年(2012年)1月31日、28年の歴史に幕を下ろして閉店しました。都内では最後まで残っていたそごう店舗でした。閉店セレモニーでは店長が「3年前からは八王子市と共に街の活性化運動に協力してきた」とコメントしています。甲州街道沿いの個店型デパートから、駅ビル型の大規模店へ——その駅ビル型もまた、28年という歳月の先に閉店を迎えることになりました。
空き店舗との闘いと、個店リノベーションの現在
そごう撤退から数年が経った平成27年(2015年)時点の報道では、八王子中心市街地には空きテナントが350件あり、その6割が貸し出されていない状態にあると指摘されています。デパート戦争の時代に15店以上が集積した街は、平成後期には一転して空き店舗という課題を抱える街になっていました。
この状況に対し、まちづくり会社「まちワイ」(旭町)は、地元不動産業者「セイシンハードウェア」や行政と協力し、横山町9-10にあった空き家「旧川口邸」を食とアートのイベントスペースへリノベーションする「リノベーションプロジェクト八王子」に取り組みました。カフェの出店やギャラリー貸し出し、庭の有料貸し出しを見込む計画です。
八王子市自身も「八王子市中心市街地魅力ある個店リノベーション補助金」(旧称:空き店舗リノベーション補助金)を設け、中心市街地の空き店舗・空き家を活用して小売業・飲食業・サービス業で新規出店する事業者の改修工事費を、50万円または実費のいずれか少ない額まで補助しています。補助対象には解体・外壁・看板設置・内装・建具・給排水衛生設備・電気設備・空調設備・ガス設備工事などが含まれ、申請受付期限は令和8年(2026年)12月末までが原則です。
かつて15店のデパートを呼び込んだ通りは今、一つ一つの空き店舗をどう埋め戻すかという、規模のまったく違う課題と向き合っています。
第2期中心市街地活性化基本計画が描く、これからの数字
こうした個店単位の取り組みを、市全体の計画として束ねているのが「中心市街地活性化に関する法律」に基づく八王子市の第2期計画です。令和5年(2023年)3月17日に内閣総理大臣の認定を受け、令和6年(2024年)1月5日に軽微な変更を実施しました。対象エリアはJR八王子駅・京王八王子駅周辺や甲州街道の一部を含む115ヘクタールで、計画期間は令和5年4月から令和10年3月までの5年間です。
基本理念に掲げられているのは「多様な価値観や幅広い世代がつながり”にぎわい”が生まれるまち」。文化・歴史をはじめとするまちの魅力を感じ回遊できるまちなみ空間の創出、個性ある商業空間の整備、市民交流の場づくりという3つの目標のもと、数値目標も設定されています。歩行者通行量は現状117,769人/日から目標130,500人/日へ、空き店舗数は現状86店舗から目標65店舗へ、地域交流活動施設来場者数は現状34,601人/年から目標66,000人/年へ、それぞれ引き上げ・引き下げを目指す計画です。国庫補助金・東京都助成金を活用した11項目の支援措置も展開されています。
15店以上が集まり、そして次々と姿を消していったこの通りに、今度はどんな顔ぶれの店が集まっていくのか。その答えはまだ出ていませんが、市はその通行量と空き店舗数という具体的な数字で、これからの5年間の変化を測ろうとしています。
まとめ
横山町・八日町は、江戸期の宿場町から、空襲による焼失、戦災復興区画整理、そして昭和のデパート戦争へと姿を変えてきました。まるき、イノウエ、伊勢丹、大丸という個店型デパートが次々と入れ替わり、駅ビル型のそごうへと商業の中心が移り、そのそごうもまた28年で撤退しています。今、この通りが向き合っているのは、15店以上を集めた時代とは規模の違う、一つ一つの空き店舗をどう埋め戻すかという課題です。甲州街道を歩くとき、今そこにある店の一つひとつが、この150年近い入れ替わりの歴史の上に立っていることを、少し思い出してみてはいかがでしょうか。
この連載の他の記事
連載「八王子という街」は、学生から50代まで、暮らしの視点から八王子という街の様々な顔を辿るシリーズです。
- 前の回: 山車を甦らせた町会
- この連載をまとめて読む: 多摩織の担い手をどう繋ぐか
参考文献
八王子市公式ホームページ「八王子市中心市街地活性化基本計画」 / 八王子市公式ホームページ「八王子市中心市街地魅力ある個店リノベーション補助金」 / 八王子市公式ホームページ「八王子市中心市街地活性化基本計画〈第2期〉」 / 国立国会図書館レファレンス協同データベース「八王子の百貨店や大型店について、それぞれの歴史や変遷を知りたい。」 / 号外NET八王子市「ご存知ですか?昭和の八日町はデパートがまっ盛りだったこと」 / はちおうじ・多摩の郷土史サイト「伊勢丹 八王子店」 / 東洋経済オンライン「『4年の間に伊勢丹・長崎屋・西武・大丸が続々開店』→『30年足らずで全滅』…西東京にある”百貨店の墓場”になった街の実態」 / 八王子経済新聞「都内最後の『そごう』八王子店が閉店-28年の歴史に幕、セレモニーも」 / 八王子経済新聞「八王子の旧民家がイベントスペースに まちづくり会社がリノベし活用」
この記事は連載「八王子という街」第16話です
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