甲州街道のイチョウ並木といちょう祭り —— 昭和の御陵造営が遺した秋の風物詩
大正天皇の陵所造営を機に宮内省が植えたイチョウは、約90年を経て八王子を代表する秋の景観となりました。並木の由来と「八王子いちょう祭り」の歩みを一次資料から辿ります。

この記事の目次
八王子市の追分町交差点から高尾町にかけて、甲州街道沿いに約4kmにわたって続くイチョウ並木があります。植えられたのは昭和のはじめ、大正天皇の陵所造営がきっかけでした。約90年を経た並木は、いまや秋になると多くの人を集める観光資源となり、毎年「八王子いちょう祭り」の舞台にもなっています。並木の由来と祭りの歩みを、行政資料や地域報道から辿ります。
追分町から高尾へ — 約4kmの並木の姿
甲州街道イチョウ並木は、追分町交差点付近から高尾町・高尾駅前にかけて、国道20号沿いに続く並木道です。八王子市公式サイトの天然記念物指定ページによれば、その本数は763本(2008年=平成20年時点)にのぼります。
樹木一本一本の規模も小さくありません。同サイトによれば、平均樹高は約15メートル、地上約1.2メートルの位置で測った平均目通り(幹周り)は約1.4メートルに達します。植樹当初、苗木の高さはわずか約2メートルでした。約90年という歳月をかけて、街道を覆うほどの大木へと育ったことになります。
観光案内では「日本一長いイチョウ並木」「日本三大並木」といった呼称が紹介されることもありますが、本稿で確認できた八王子市公式サイト等の一次資料には、この順位づけを裏付ける明示的な記載は見当たりませんでした。ここでは確定的な事実としてではなく、通称として触れるにとどめます。
並木の区間や本数には、資料によって細かな幅もあります。地域メディア「タウンニュース」(2018年11月15日付)は、区間を「追分町交差点から高尾駅前にかけて約4.2km」、本数を「2018年4月現在750本」と伝えており、八王子市公式サイトが示す約4km・763本(2008年時点)とはやや異なる数字です。約90年にわたって街路樹として維持されてきた並木だけに、この間には枯死や補植など何らかの管理の積み重ねがあったと考えられますが、その具体的な経緯を記した資料までは確認できていません。それでも「約4km規模の並木」という点では、複数の資料が共通しています。
大正天皇の陵所造営 — 甲州街道に植えられた理由
このイチョウ並木が植えられた背景には、ある皇室の出来事がありました。大正天皇は1926年(大正15年)12月25日に崩御します。翌1927年(昭和2年)1月3日付の官報号外で、当時の南多摩郡横山村——現在の八王子市——に陵所を設けることが告示されました。
同年2月8日には「大喪の儀」が執り行われ、陵名は「多摩陵(たまのみささぎ)」と定められます。三井住友トラスト不動産の地域史アーカイブ「このまちアーカイブス」によれば、陵墓が東京に置かれたのはこれが初めてのことでした。同資料には、霊柩を載せた列車が現地に到着したのが同日午前1時35分だったという記録も残されており、深夜にもかかわらず多くの人々が見送りに集まったことがうかがえます。
一般参拝は同月13日から期間を限定して始まり、1928年(昭和3年)4月3日からは通年での参拝が許可されています。陵墓が東京近郊に置かれたことは当時大きな注目を集め、多摩陵一帯の観光地化が進む契機にもなりました。同じ「このまちアーカイブス」には、この時期に京王電気軌道の御陵線が甲州街道を高架橋で越える形で敷設されたとの記述もあり、大正末から昭和初期にかけて甲州街道が八王子の主要な交通路として機能していたことがうかがえます。
甲州街道のイチョウ並木は、この多摩陵造営にあわせた道路改修の一環として、宮内省(現在の宮内庁)の手で植えられました。八王子市公式サイトの天然記念物指定ページは「昭和4年(1929年)に道路改修された際に、宮内庁によって植えられました」と記しています。一方、地域メディア「タウンニュース」(2018年11月15日付)は「昭和2年から昭和4年にかけて」植樹されたと伝えており、資料によって植樹期間の表記には数年の幅があります。大正天皇の崩御から陵の造営、周辺道路の整備までが数年がかりの事業であったことを踏まえると、道路整備の進捗にあわせて数年間にわたり順次植樹が進み、1929年に主要区間が完了した、という理解が妥当と考えられます。
東京オリンピックと「市の木」— 戦後の顕彰
植樹から数十年を経て、イチョウ並木は二度、あらためて公的な位置づけを与えられます。ひとつは、昭和39年(1964年)7月23日の八王子市天然記念物への指定です。八王子市公式サイトによれば、この指定は同年開催の東京オリンピックで、甲州街道を含むコースが自転車競技ロードレースの舞台となったことがきっかけでした。世界中の目が集まる大会にあわせて、沿道の景観資源であるイチョウ並木の価値があらためて見直されたことがうかがえます。
もうひとつは、昭和51年(1976年)の「市の木」制定です。八王子市制施行60周年を記念し、イチョウが市を象徴する木として選ばれました。街道に植えられた実用的な並木が、半世紀近くをかけて八王子市そのものを象徴する存在へと位置づけを変えていったのです。
天然記念物指定と「市の木」制定という二つの節目は、いずれもオリンピックや市制記念といった、まちの内外に向けた大きな出来事と重なっています。もとは陵所への交通整備という行政上の必要から始まった並木が、節目のたびに市民の目に触れる機会を得て、少しずつ「八王子を代表する景観」としての存在感を強めていったことがうかがえます。
「八王子いちょう祭り」の成立と2026年の開催
並木の黄葉を主役にした祭りが生まれたのは、昭和54年(1979年)のことです。「八王子いちょう祭り」は、地域住民の大半がボランティアとして参加する「八王子いちょう祭り祭典委員会」の運営によって続けられてきました。
2026年(令和8年)の開催は、いちょう祭り公式サイトによれば11月21日(土)・22日(日)の2日間で予定されており、通算で「第47回」を数えます。この年の祭りには「甲州街道いちょう並木100年記念」という冠が付されており、祭りのテーマには「金色のいちょう並木と共に ~Take On New Challenges!~」が掲げられています。
なお、2018年(平成30年)の第39回いちょう祭りには「いちょう並木90年記念」という冠が付されていたことがタウンニュースの記事で確認できます。並木の「年齢」の数え方には、資料や年によって表現の幅があるようですが、いずれも大正天皇の陵所造営という同じ出来事に起点を持つ点は共通しています。
運営面では、祭典委員会が販売する「手形」と呼ばれるチケット類の収益や、後援会・協賛企業の支援によって予算の大半がまかなわれているとされます。企画やテーマについても、年齢や職業を問わない一般市民がアイデアを出し合って決める「市民の祭典」というスタイルが、1979年の創設以来続けられてきました。地域情報サイトでは、開催時の来場者数が延べ50万人を超える規模になると紹介されることもありますが、これは祭典委員会による公式な発表値としては確認できておらず、あくまで参考情報として付け加えておきます。
黄葉の見頃と秋の観光資源として
並木の黄葉が見頃を迎えるのは、例年11月中旬から12月上旬にかけてです。この時期については、気象情報や観光情報を扱う複数のメディアが共通して案内しています。八王子いちょう祭りの開催日は例年この見頃の時期に合わせて11月下旬に設定されており、2026年の11月21日・22日という日程も、黄葉が進む時期を見込んだ設定と重なります。
いちょう祭りの開催期間中は、約4kmにわたる並木沿いに露店や催しが並び、多くの来訪者を集めます。もとは陵所への道路整備という行政上の必要から植えられたイチョウが、約90年を経て八王子を代表する秋の観光資源へと育っていった歩みは、まちの記憶が景観のなかに積み重なっていく一例といえるでしょう。
まとめ
大正天皇の陵所造営という昭和初期の出来事から生まれたイチョウ並木は、東京オリンピックを機に天然記念物となり、市制60周年で「市の木」となり、そして「八王子いちょう祭り」という市民の祭典の舞台へと育っていきました。約4km・763本という規模の大きさは、植樹から100年近くにわたって手入れを重ねてきた歳月の積み重ねでもあります。
行政上の必要から植えられた並木が、時代ごとの節目を経て市民の祭典の舞台になっていくという流れは、まちの景観がどのようにして「みんなのもの」になっていくのかを考えるうえでも興味深い事例です。今年の秋、並木道を歩く際には、その足元に埋め込まれた昭和のはじまりの記憶に、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考文献
八王子市ホームページ「甲州街道イチョウ並木」「甲州街道イチョウ並木(天然記念物)」 / タウンニュース「イチョウ並木 街道を彩り90年 宮内庁が植樹 市の記念物」 / 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス」八王子編 / 八王子いちょう祭り祭典委員会公式サイト
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