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地域の未来 · 公開: 2026.08.18 · 7分で読めます

山車を甦らせた町会 —— 八王子空襲を越えて受け継がれる祭りの担い手たち

八王子まつりの山車はなぜ19台なのか。空襲で焼失した山車を町会がどう再建し、大学生ボランティアという新しい担い手をどう迎え入れてきたかを辿ります。

軒先に連なる文字入りの提灯

毎年8月上旬、甲州街道を練り歩く八王子まつりの山車は、現在19台です。しかし昭和11年(1936年)の市制20周年記念パレードには、20台の山車が顔をそろえていました。この数字の差の背後には、昭和20年の八王子空襲で焼け落ちた山車と、それを再び甦らせようとした町会の人々の営みがあります。この先では、山車の様式がどう変わり、空襲をどう乗り越え、そして今どんな人たちがその継承を支えているのかを辿ります。


連載「八王子という街」第15回多摩織の担い手をどう繋ぐか

焼け落ちた山車、残された19台という数字

昭和11年(1936年)8月、市制20周年を祝う記念パレードに、八王子の各町会は競うように山車を繰り出しました。集まった山車は20台。彫刻を施した堂々たる姿の山車が甲州街道を埋め尽くし、戦前の八王子まつりはこのとき一つの頂点を迎えていました。

しかしその9年後、昭和20年(1945年)8月2日未明、八王子は空襲に見舞われます。市街地の大半が焼き尽くされ、多くの山車もまた炎の中に消えました。祭りを彩ってきた彫刻山車は、材木も彫刻も、一夜にして灰になったのです。

戦後、祭りが再び甲州街道を練り歩くようになるまでには、長い空白がありました。そして今、街を巡る山車は19台です。20台から19台へ——一台分の差だけを見れば小さな数字に思えますが、その背景には、焼け落ちた山車を町会ごとに一から立て直してきた歳月があります。

いま八王子まつりの会場となる甲州街道は、八王子駅入口交差点から追分交差点まで約1.8キロメートル。例年80万人を超える人出でにぎわい、重さ約3トンと伝わる多賀神社の「千貫みこし」には延べ約1,600人が担ぎ手として名を連ねます。この規模の賑わいを毎年支えているのは、19台という数字の裏にある、焼失と再建を経験してきた町会一つひとつの積み重ねなのです。


「上の祭り」「下の祭り」——二つの祭礼が一つになるまで

現在は一つの祭りとして親しまれている「八王子まつり」ですが、もとは由来の異なる二つの祭礼でした。江戸時代、八王子宿は甲州街道と日光街道(陣馬街道)が交差する宿場町として栄え、幕府の直轄地(天領)に置かれていました。この宿の西側、いわゆる「上手」の町々は多賀神社の祭礼を担い、「上の祭り」と呼ばれていました。一方、東側の「下手」の町々は八幡八雲神社の祭礼を担い、「下の祭り」と呼ばれていました。

二つの祭礼は江戸後期から明治中期にかけて、それぞれ別々に営まれていました。宿の上手と下手、氏神を異にする二つの祭りが、同じ通りを分け合っていた時代です。

甲州街道は江戸と甲斐国を結ぶ五街道の一つで、日光街道(陣馬街道)とともに八王子宿を経由していました。街道が交差する宿場町という性格が強かったからこそ、多賀神社と八幡八雲神社という異なる氏神を戴く町々が、それぞれの祭礼を大切に守り続けてきたのだと考えられます。

そして昭和43年(1968年)、市外からの来場者が増えたことを背景に、名称が現在の「八王子まつり」へと改められます。このとき「上の祭り」「下の祭り」の山車巡行が一つに統合され、現行の祭りの原型が完成しました。二つの氏神を持つ町々が、一つの祭りの下に並ぶようになったのです。


電線が変えた山車の姿 —— 人形山車から彫刻山車へ

江戸時代の山車は「人形山車」と呼ばれる様式が主流でした。心柱の頂上に岩座を設け、そこに人形を飾る、背の高い造りです。屋根の上に人形がそびえる姿は、街道沿いの町並みからも遠く見渡せる、当時の山車の見せ場だったと考えられます。

ところが明治後期から大正期にかけて、市街地に電線が張り巡らされるようになると、この背の高い人形山車が電線に引っかかり、思うように巡行できなくなりました。街の近代化が、祭りのかたちそのものを変えることになったのです。

この制約に応える形で編み出されたのが、山車を低く抑えた「鉾台構造」「堂宮構造」です。そして大正6年(1916年)、八王子市制施行を機に、精緻な彫刻を施した「彫刻山車」が登場します。以後、この様式が八王子まつりの主流として現在まで受け継がれてきました。現在、19台のうち12台の山車と一部の山車人形が、八王子市の指定文化財となっています。

低く抑える構造への転換は、電線という都市化の制約から生まれたものでした。それでも彫刻山車という様式は結果として定着し、山車一台ごとの彫刻の出来映えに注目が集まる、今の八王子まつりらしい見どころを作り出すことにもなったのです。


三万人の夕涼みから始まった戦後復興

空襲から16年が経った昭和36年(1961年)、「三万人の夕涼み」と呼ばれる催しとして「八王子市民祭」が始まりました。これが、戦後の八王子まつりの再出発点になります。この時点では、まだ山車を伴う本格的な巡行には至っていませんでした。

さらに5年後の昭和41年(1966年)、市制50周年を記念した市民祭のパレードに、再建・修復された山車12台が初めて顔をそろえました。焼け落ちた山車を、町会ごとに時間をかけて立て直していった結果です。上八日町や横山町三丁目は、その代表的な例として知られています。5年という歳月をかけて、市民祭は少しずつ山車を中心とした祭りの姿を取り戻していったことになります。

町会による再建は、この年で終わったわけではありません。八幡町(旧2丁目)の人形山車は、平成31年(2019年)になってようやく復元されました。焼失から70年以上を経てなお、山車を甦らせる営みが続いていることになります。

戦後21年という歳月は、山車を新調するのではなく、焼け残った部材や職人の記憶を頼りに一台ずつ組み直していくには、決して短い時間ではありませんでした。それでも昭和41年に12台がそろったという事実は、町会がこの歳月をかけて何を優先し、どう祭りを取り戻そうとしたかを物語っています。


19町会が支える今 —— 実行委員会と大学生ボランティア

戦後、焼け落ちた山車を町会が一台ずつ甦らせてきたその歴史を経て、令和のいま八王子まつりを支える体制はどうなっているのでしょうか。現在、八王子まつりには下地区・上地区合わせて19町会が参加し、19台の山車(うち1町会が2基保有)を出しています。祭り全体を取りまとめるのは「八王子まつり実行委員会」で、公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団のコミュニティ振興課内に事務局を置いています。祭りの運営がコミュニティ振興という枠組みの中に位置づけられていること自体が、八王子まつりが単なる一過性の観光イベントではなく、地域の担い手づくりと不可分な取り組みであることを示しています。

参加のかたちは、必ずしも「自町会の山車を出す」という一通りではありません。かつては山車を持たない町会が、他の町会から山車を借りて祭りに参加していた例もありました。地元・元本郷町会はその一例です。19台という数字の背後には、こうした町会同士の助け合いも存在してきたことになります。

自前の山車を持たない町会にとって、それでも祭りに加わり続けようとしたことは、山車そのものよりも「祭りの担い手であり続けること」を優先した選択だったとも言えるでしょう。こうした運営の広がりが評価され、平成15年(2003年)には「地域伝統芸能大賞」を受賞しています。

山車を再建してきたのが各町会の営みだとすれば、祭りを続けていくための新しい担い手づくりを担っているのが、この財団の取り組みです。大学コンソーシアム八王子は、加盟大学等に通う留学生や日本人学生を対象に「山車曳き体験」を毎年実施しています。参加者には謝礼金とボランティア参加証明書が用意され、事前説明会も開かれます。直近の実施回では8月8日(土)16時から21時まで、参加費無料・半纏貸し出しという形で行われました(日程は年度により変動します)。学園都市として23の大学が立地する八王子ならではの、地縁によらない担い手確保の取り組みといえるでしょう。

空襲で山車を失い、それでも再建してきた町会の歴史の先に、学生という新しい担い手を巻き込む今の仕組みが重なっています。山車という「モノ」を甦らせる営みと、それを担ぐ「人」を確保する営みは、形は違っても同じ一つの継承のかたちなのかもしれません。


まとめ

昭和11年に20台がそろった山車は、空襲で焼け落ち、町会の手で少しずつ立て直され、今は19台として甲州街道を練り歩いています。彫刻山車という様式そのものも、電線という都市化の制約の中で生まれたものでした。「上の祭り」「下の祭り」という別々の歴史が一つの祭りに統合され、山車を持たない町会が他町から借りて参加した年代もありました。

そして今、その担い手には大学生というかつてなかった顔ぶれが加わっています。山車の数字の変化を追うだけでも、八王子まつりが一度も途切れずに続いてきたわけではなく、そのつど誰かの手で「甦らせる」作業を経てきたことが見えてきます。来年、甲州街道で山車を見かけたときは、その一台がくぐり抜けてきた長い歳月にも、少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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連載「八王子という街」は、学生から50代まで、暮らしの視点から八王子という街の様々な顔を辿るシリーズです。

参考文献

八王子市公式ホームページ「八王子まつり」 / 智慧の燈火オンライン「関東屈指の山車祭り『八王子まつり』」 / 八王子データベース「八王子祭りの歴史を辿る!魅力満載の山車と祭の背景」 / 公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団 機関誌「ラ♪ラ♪ラMAGAZINE」2024夏号特集 / 大学コンソーシアム八王子「山車曳き体験」 / PR TIMES「八王子まつりの話をしよう!特別番組(JCOM)」

この記事は連載「八王子という街」第2話です (全2話・更新中)

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カヅキ

カヅキ

桑都手帖 編集者

ものづくりや意匠設計を学んだ経験をもとに、八王子の風土・歴史・伝統工芸を現代につなぐ記事を書いています。暮らしの手続きについても、調べたことをそのまま書き留めています。