八王子の市を歩く —— 六斎市から現代の朝市まで
戦国時代の城下町に始まり、江戸の縞市で全国に名を轟かせた八王子の「市」の文化。六斎市、縞市、そして現代に続く朝市やマルシェまで、八王子と市の長い関わりを辿る。

この記事の目次
概要
八王子は「市(いち)」の街です。戦国時代、北条氏照の城下で開かれた定期市。江戸時代、甲州街道の宿場町で月6回開催された六斎市。そこで取引された縞織物の量があまりに多く、「縞市(しまいち)」と呼ばれるようになった八王子の市。
その賑わいは、横浜開港後の絹取引で頂点に達しました。そして現代——形を変えながらも、八王子では今なお「市」の文化が息づいています。
城下の市 — 北条氏照が開いた原点
八王子で最初に「市」が開かれたのは、戦国時代のことです。
北条氏照が滝山城、のちに八王子城を拠点としてこの地域を治めていた時代。氏照は城下町を整備し、定期的な取引の場を設けることを推奨しました。周辺の農村から生糸や織物、農産物が持ち込まれ、商人たちが集まって売買を行う。これが八王子の「市」の原点です。
領主にとって、市は城下町の経済を活性化させる手段でした。人が集まれば物が動き、物が動けば銭が生まれ、銭は兵糧や軍備に変わる。戦国時代の市は、軍事と経済が直結した場所だったのです。
天正18年(1590年)の八王子城落城により、この城下町は消滅します。しかし「市を開く」という文化は、次の時代に引き継がれていきました。
六斎市と縞市 — 江戸の賑わい
徳川の世になり、大久保長安が甲州街道沿いに八王子十五宿を建設すると、この宿場町で新たな定期市が始まりました。
六斎市(ろくさいいち)——毎月4と8のつく日(4日・8日・14日・18日・24日・28日)に開催される月6回の定期市です。「四八の市(しはちのいち)」とも呼ばれました。
この市で取引の主役となったのが、八王子周辺で織られた縞織物でした。真綿から紡いだ糸を染め、格子模様や縦縞に織り出した「八王子縞」をはじめとする織物が大量に並ぶ。その量と賑わいから、人々はこの市を「縞市(しまいち)」と呼ぶようになります。
縞市には、江戸から商人が買い付けに訪れました。八王子は甲州街道の要衝にあたり、甲斐・信州方面からの物流も集まります。青梅、五日市、さらには桐生や足利からも商人がやって来たといいます。八王子は単なる生産地ではなく、関東有数の繊維産業の集散地として機能していたのです。
市は単なる取引の場ではありませんでした。人が集まれば情報も集まります。相場の変動、流行の柄、新しい技法。市は、産地のイノベーションを促す情報交換の場でもあったのです。
絹の取引 — 横浜開港がもたらした国際市場
1859年(安政6年)の横浜港開港は、八王子の市にも大きな変化をもたらしました。
国内の縞市に加えて、生糸の国際取引が新たな軸になったのです。甲州・信州・上州から八王子に集まった生糸は、鑓水(やりみず)の商人たちの手によって横浜港へ運ばれ、外国商館に売却されました。
鑓水商人たちは、横浜の相場情報をいち早くつかみ、自前の蔵に蓄えた生糸を最適なタイミングで売りさばくという、洗練された取引手法を持っていました。「江戸鑓水」「鑓水銀座」と噂されるほどの繁栄は、八王子の「市」の文化が国際市場とつながった瞬間でした。
しかし明治中期以降、鉄道の発達によって物流の構造が変わり、生糸は八王子を経由せずに直接横浜へ運ばれるようになります。鑓水商人の多くは没落し、「市」の中心は再び八王子宿の地場産業へと戻っていきました。
現代の市 — 形を変えて続く伝統
大正・昭和と時代が進む中で、八王子の定期市は常設の商店や百貨店に取って代わられ、いったんは姿を消しました。しかし「市」の文化は、形を変えて現代に息づいています。
八王子駅北口周辺では、定期的にマルシェやフリーマーケットが開催されています。地元農家の野菜、手作りの菓子やパン、クラフト雑貨。扱う品目は縞織物から農産物へと変わりましたが、生産者と消費者が直接出会い、対面で取引するという構図は、江戸の六斎市と変わりません。
八王子いちょう祭りは、毎年11月に甲州街道沿いの追分町から高尾駅付近まで約4kmにわたって開催される大規模なイベントです。関東最大級の街道市として知られ、数百の露店が並びます。甲州街道が市の舞台となるという点で、江戸時代の宿場町の市と通じるものがあります。
こうした現代の「市」は、商取引としての経済的重要性は江戸時代のそれとは比較になりません。しかし、人が集まり、物が並び、対面で言葉を交わして売買する——その原型は、北条氏照の城下で始まった定期市からまっすぐにつながっています。
まとめ
八王子は「市」とともに歩んできた街です。
戦国の城下に始まった定期市は、江戸の六斎市・縞市として発展し、横浜開港後には国際的な絹取引の場にまで拡大しました。鉄道の時代に縮小し、常設店舗に取って代わられた後も、マルシェやいちょう祭りとして「市」の文化は形を変えて続いています。
生産者と消費者が直接顔を合わせる。その場所に行けば、欲しいものが見つかる。情報が交わされ、信頼が生まれ、取引が成立する。「市」という仕組みの本質は、500年前から変わっていないのかもしれません。
参考文献
八王子市ホームページ「八王子の歴史と文化」 / 日本遺産「霊気満山 高尾山 〜人々の祈りが紡ぐ桑都物語〜」 / 八王子いちょう祭り公式
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