八王子織物とジャカード織機 —— 紋織物を可能にした技術革新と多摩結城の誕生
複雑な柄を自動で織り出すジャカード織機は、どのような経緯で八王子に伝わったのか。明治20年の組合記録から、昭和4年の「多摩結城」誕生までをたどります。

この記事の目次
天井近くの梁に職人がしがみつき、何百本もの経糸(たていと)を一本ずつ手で引き上げていく——明治のはじめ、複雑な柄を織るとはそれほどの重労働でした。ところが明治20年(1887年)、八王子の織物組合が購入した一台の外国製の機械が、その光景を少しずつ過去のものに変えていきます。紋織を自動化する技術はどこからやってきて、八王子でどのような名品を生み出したのでしょうか。
連載「桑都の織物史」第17回|この連載をまとめて読む
天井に乗った職人 —— 空引機の時代
ジャカード織機が普及する以前、複雑な文様を織る日本の伝統的な紋織には「空引機(そらびきばた)」という装置が使われていました。空引機は、織機の上部に設けられた高い場所に職人(空引工)が乗り込み、下で織る職人と息を合わせながら、模様に必要な経糸を一本ずつ手作業で上げ下げする仕組みです。
この方式は確かに複雑な柄を織ることができましたが、必要な人手と熟練がそのまま柄の複雑さに比例して増えていくという弱点を抱えていました。柄が細かくなればなるほど、空引工の人数も作業時間も膨らみ、量産には向きません。紋織物が高価な贅沢品にとどまっていた背景には、こうした生産方式そのものの限界がありました。
この構造を根本から変える発明が、海の向こうフランスで生まれていました。
フランスから西陣へ —— 1801年の発明と1873年の持ち込み
ジャカード織機は、フランスのジョゼフ・マリー・ジャカールが1801年に発明した紋織装置です。紋紙(もんがみ)と呼ばれるパンチカード状の型紙に模様データを記録し、そのデータに従って経糸を自動的に上下させる仕組みでした。空引工が人力で担っていた「どの糸を、いつ、どれだけ上げるか」という判断を、紙に記録された情報が代行するようになったのです。

この技術が日本に持ち込まれたのは、ジャカールの発明から70年以上を経た明治6年(1873年)のことでした。ウィーン万国博覧会の視察団に加わっていた京都西陣の織物業者が、フランス・リヨンからジャカード織機を初めて日本へ持ち込んだと伝えられています。西陣から派遣された佐倉常七・井上伊兵衛・吉田忠七らはリヨンの地で織物技術そのものを学び、明治10年(1877年)には西陣の地で国産第1号機が製造されました。
西陣での国産化が進む中、リヨン留学組の一人である近藤徳太郎も明治15年(1882年)に帰国し、技術の定着に加わったとされています。明治13年(1880年)頃には佐々木清七によるジャカード機の国内販売も始まり、機械そのものを購入できる環境が整っていきました。明治18年(1885年)に東京で開催された第二回内国勧業博覧会(五品共進会)では、ジャカード織物が高い評価を受けており、紋織の新技術はこの時期すでに国内で注目を集める存在になっていたことが分かります。
西陣という最大の織物産地から始まった技術は、やがて各地の産地へと広がっていきます。業界史の整理によれば、桐生(明治10〜23年頃)、足利(明治10年)、福井・伊勢崎(明治17年)、米沢(明治19〜23年頃)、博多(明治23年)という順に伝播したとされ、八王子・十日町へは明治28年(1895年)頃に広まったという系譜が示されています。その波は、やがて桑都・八王子にも届くことになりました。
八王子が選んだ技術 —— 明治20年、組合の決断
八王子の織物業者たちが新しい技術に向けて組織を固めたのは、明治19年(1886年)のことです。仲買商らが結集して「八王子織物組合」を結成し、産地としての体制づくりに動き出しました。その翌年、明治20年(1887年)には染色技術の向上を目的として新町に「八王子織物染色講習所」が開設され、当時の日本を代表する染色技術者とされる山岡次郎・中村喜一郎らが講師として招かれています。
そして同じ明治20年、八王子織物工業組合(現在に続く後継団体)の年表には「ドビー、ジャカード購入」という一文が記されています。組合として、紋織や柄織を可能にする外国製の織機——ドビー機とジャカード機——をこの時期に導入したことが、組織の正式な記録として残されているのです。染色技術の講習所開設と、紋織を自動化する機械の導入が同じ年に重なっていることは、八王子の産地が「染め」と「織る柄」の両面から一気に技術水準を引き上げようとしていたことを物語っています。
なお、前章で触れた業界史の伝播年表では、ジャカード機が八王子へ広まったのは明治28年(1895年)頃とされていました。これは組合記録にある明治20年(1887年)の購入より約8年遅れており、「技術の最初の試験的な導入」と「産地全体への本格的な普及」が別の出来事として記録されている可能性を示しています。どちらにせよ、八王子がジャカード機を取り入れたのが明治20年代であったことは、複数の記録から確かだと言えます。
この投資は決して小さな動きではありませんでした。明治28年(1895年)に講習所が私立八王子織染学校へ改組され、明治32年(1899年)には製造業者を含む「八王子織物同業組合」が設立されます。組合員約3,900名、手織機11,300台という規模が記録に残っており、八王子が一大産地へと成長していく土台がこの時期に築かれたことが分かります。その後、明治36年(1903年)には同校が東京府立織染学校に移管され、明治41年(1908年)には八王子織物の生産量が100万点を突破したと記録されています。染色講習所の開設からわずか20年ほどで、産地としての規模を大きく拡大させたことになります。
「柄を選ぶ技術」と「動かす技術」 —— ジャカードと力織機は別の革新
八王子織物の近代化を語るとき、しばしば注目されるのは大正期の「力織機」——動力で織機そのものを動かす技術です。明治43年(1910年)、八王子で電動力の供給が始まり、力織機の使用が広まっていきました。これは「織る動作そのもの」を人力から動力に置き換える革新であり、生産量そのものを飛躍的に増やす効果を持っていました。
ここで見落としてはならないのは、ジャカード機と力織機はまったく別の技術系譜だという点です。ジャカード機が自動化したのは「どの柄を織るか」という判断であり、力織機が自動化したのは「織る動作そのもの」でした。八王子では、紋織の自動化(ジャカード系の導入)が明治20年代に、動力化(力織機の普及)が明治43年以降にと、異なる時期に別々の課題として進んでいったのです。
つまり八王子の織物は、まず「複雑な柄を人手をかけずに織れるようになる」段階を経て、その後「織る速さと量を増やせるようになる」段階へと進んだことになります。この順序を踏まえると、八王子織物の近代化が一本の技術だけで語れるものではなく、複数の革新が積み重なって成り立っていたことが見えてきます。
大正の実験精神が生んだ「多摩結城」
紋織の技術を手にした八王子の産地は、大正期に入ると新しい製品の開発に積極的に挑むようになります。大正9年(1920年)には八王子織物同業組合の事務所(鉄筋コンクリート3階建)が完成し、大正11年(1922年)には組合が工業試験場の設置を東京府に請願しました。大正12年(1923年)には新繊維「ベンベルグ」(キュプラ、人造絹糸の一種)が取り入れられ、産地は素材の面でも新しい挑戦を重ねていきます。
そして大正13年(1924年)には「八王子織物柄の会」が設立され、新製品の開発と販路拡張に力が注がれました。同じ年、組合はネクタイの試作に成功し、それまでなかった分野を新たに開拓しています。この挑戦の延長線上に、戦後の「ガチャ万景気」を支えたネクタイ産業の繁栄がつながっていきます。昭和2年(1927年、資料によっては昭和3年とも)には「東京府立染織試験場」が設立され、産地の技術開発を後押しする体制がさらに整えられました。
そうした実験精神の中から、紋織の技術を集約した一つの到達点が生まれました。大正末から昭和の初め頃にかけて完成したとされる「多摩結城(たまゆうき)」です。より具体的には、昭和4年(1929年)に女物の多摩結城が開発されたとする記録があり、八王子織物工業組合の年表にも「特産正絹お召を多摩結城と称す」という一文が残されています。
多摩結城は、茨城・栃木の結城地方で織られる結城紬に似た風合いを持ちながら、八王子が積み重ねてきた紋織と先染めの技術を集約した正絹のお召(おめし)でした。明治20年にドビー・ジャカードという外国の技術を取り入れてから約40年を経て、八王子の産地はその技術を自分たちの名品へと結実させたことになります。多摩結城は現在も、昭和55年(1980年)に通商産業省から伝統的工芸品の指定を受けた5つの技法「多摩織」の一つとして、今も織り継がれています。
まとめ
天井に乗った職人が経糸を一本ずつ操る空引機の時代から、紋紙が模様を記録するジャカード機の時代へ——この転換は、八王子の織物が複雑な柄を自在に生み出せるようになる土台をつくりました。明治20年に組合が購入した一台の機械は、単なる設備投資ではなく、産地の技術水準そのものを塗り替える一歩だったのです。その延長線上に、多摩結城という一つの到達点が生まれたことを、今回はたどってきました。
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連載「桑都の織物史」は、八王子の織物産業がたどった500年あまりの歴史を一話ずつ紐解くシリーズです。
- 前の回: 多摩織の現在地 —— 名誉都民・澤井伸と、伝統工芸とテクノロジーの接続
- この連載をまとめて読む: 八王子と織物 — 桑都500年の歴史を読む
参考文献
高島屋テキスタイルセンター「ジャカード織りとは」 / 麻布あさやま織物「ジャカード」 / ジャカードジャパン「日本へのジャカード織り機導入」「ジャカード織 歴史」 / 八王子市ホームページ「八王子織物の歴史」 / 八王子織物工業組合「歴史・伝統」 / 三井住友トラスト不動産「『八王子織物』と製糸業の発展 ~ 八王子」
この記事は連載「桑都の織物史」第18話です
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