八王子織物と戦時統制経済 —— 企業整備令で供出された織機、空襲を越えた復興資金
関東大震災後のネクタイ試作から戦後のガチャ万景気まで、既刊のどの回でも扱っていない空白の約30年間があります。統制経済への移行、企業整備令による織機供出、八王子空襲、そして復興資金による再建までを一次資料で辿ります。

この記事の目次
関東大震災後にネクタイの試作が始まった大正13年(1924年)と、ガチャ万景気に沸いた戦後——このあいだの約30年間、八王子織物に何が起きていたかは、あまり語られてきませんでした。答えは、統制と喪失の時代です。原料糸は配給制になり、織機の3分の2は軍需のために供出され、昭和20年の空襲で残った設備の半分も焼けました。
終戦時、産地に残っていた工場は戦前のわずか2割ほどだったといいます。それでもこの産地は、戦災復興資金を足がかりに、戦後の好況へとつながる技術を戦時下で失わずに残していました。空白とされてきたこの30年間に、実際には何があったのかを一次資料で辿ります。
連載「桑都の織物史」第14回|この連載をまとめて読む
「七・七禁令」と原糸配給統制 —— 統制経済への移行
昭和9年(1934年)、八王子で「八王子輸出織物工業組合」が設立されました。輸出振興を目的とした組合で、この時期の八王子織物はまだ拡大基調にありました。しかし昭和12年(1937年)の日中戦争勃発を境に、状況は一変します。日本経済は徐々に統制経済体制へと移行し、それまで順調だった産地も長い苦難の時代を迎えることになりました。
原料糸の配給統制がいつ始まったかについては、一次資料のあいだで表記に食い違いがあります。八王子織物工業組合公式サイトの年表は「昭和14年(1939年)、原糸配給統制となる」としていますが、八王子市公式サイトは「昭和15年(1940年)1月、生糸の配給統制規制が交付され、原料糸の割当が始まった」と記しています。組合公式・市公式のいずれも一次資料であり、どちらが正確かは本稿では判断できません。ここでは「昭和14〜15年ごろ」と幅を持たせて記録しておきます。
決定的だったのは、昭和15年(1940年)7月7日に施行された「奢侈品等製造販売制限規則」でした。日付にちなんで「七・七禁令」と俗称されるこの規則は、金糸・銀糸を使った銘仙など豪華な織物の製造を制限するものでした。既刊第10回「八王子銘仙とモダン文化」で辿った、女学生を熱狂させた華やかな銘仙の隆盛に、行政による強制的なブレーキがかかった転換点にあたります。
既刊第10回で見た銘仙は、モダンな柄と鮮やかな発色を武器に女学生たちを熱狂させたものでした。七・七禁令が制限したのは金糸・銀糸という資材そのものであると同時に、意匠の自由度でもあったといえます。産地はここから、素材も意匠も自由にならない時代へと入っていきます。
企業整備令 —— 供出された織機と軍需転業
戦時統制がさらに厳しさを増したのが、昭和18年(1943年)です。政府は「戦力増強企業整備令」を発令し、産地に大きな爪痕を残しました。八王子織物工業組合公式サイトの年表には、この年について「戦力増強の為、設備織機の2/3を供出」と明記されています。八王子市公式サイトも同じ出来事を「最小限度の工場に織機を残し、残りをくず鉄にして供出することになる」と記しており、表現は異なるものの、両者は同一の史実を指しています。
供出された織機は金属資源として回収され、軍需物資の原料に転用されました。江戸期以来、代々の機業家が築いてきた生産設備の大半が、この一年でほぼ強制的に失われたことになります。ネクタイや銘仙を織り出してきた織機が弾薬の原料へと姿を変えていく——それが企業整備令という制度の実態でした。
供出の対象になったのは、工場の設備だけではありませんでした。代々織機を受け継いできた家々にとって、それは生業の道具そのものを手放すことを意味していたはずです。組合公式サイトと市公式サイトの両方が、この年を境に産地の姿が一変したと記していることは、単なる数字の変化以上の重みを物語っています。
この転業の具体例として、三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス」は、同じ昭和18年に興味深い動きがあったと伝えています。製糸紡績業を営んでいた片倉工業の系列で、消防車などを製造する「日本機械工業」の工場が八王子に併設されたというのです。企業整備令により事実上の廃業・転業を迫られた織物関連事業者が、軍需・防災関連機材の製造へと生産品目を転換していった、具体的な一例と位置づけられます。織物という繊維産業から、金属加工を伴う機械製造への転換は、戦時下の産業構造そのものが強制的に組み替えられたことを物語っています。
昭和20年8月2日未明 —— 空襲と産地の壊滅
企業整備令で織機の大半を失った産地に、さらに壊滅的な打撃が加わります。昭和20年(1945年)8月2日未明、アメリカ軍のB-29爆撃機約170機による空襲が、八王子市とその周辺を襲いました。八王子市公式サイト「はちおうじ平和サイト」によれば、焼夷弾投下は約2時間近く続き、投下量は約1,600トンに達したとされています。
被害の規模は甚大でした。市街地の被害は1万4,000戸以上、市街地面積の約80%が焼失という規模に及びました。この点は八王子市公式サイトと総務省のページで一致しています。既刊で辿ってきた華やかな銘仙やネクタイ生地を織り出していた工場の多くも、この2時間のうちにその姿を消したことになります。
一方、死者数については両者のあいだで食い違いがあります。八王子市公式サイトは「約450名が死亡、約2,000名が負傷」としていますが、総務省「一般戦災死没者の追悼」ページの八王子市に関する記述は「死者396人、負傷者2,000名以上(うち重傷者494人)」と、より詳細ながら異なる死者数を示しています。いずれも公的機関の一次資料であるため、本稿では数値を一本化せず、出典ごとの表記の違いとして両論併記しておきます。戸数や焼失面積では一致する両者が、最も重い数字である死者数でだけ食い違っている点に、記録を残すことの難しさそのものが表れているといえるでしょう。
八王子織物工業組合公式サイトの年表は、この年について「敗戦、空襲により残存設備の半数をさらに消失」と記しています。前年の企業整備令で織機の2/3を供出し、残る3分の1のうちさらに半分を空襲で失った——この記述は、八王子市公式サイトが示す「終戦時、産地に残っていた工場は昭和16年(1941年)時点のわずか約20%にすぎなかった」という数値ともおおむね符合します。江戸期から明治・大正を経て蓄積されてきた生産基盤が、企業整備令という人為的な打撃と、空襲という戦災の二段階によって、わずか2〜3年のうちにその大半を失ったことになります。
焼け跡からの復興 —— 統制撤廃とネクタイ産業への道
昭和22年(1947年)、産地に「戦災復興資金」が導入されました。八王子市公式サイトは同じ経緯を「復興金融公庫による融資を得てようやく立ち直った」と表現しています。表現は異なりますが、両者は同一の公的融資制度を指していると考えられます。壊滅した設備を再び立て直すための、最初の足がかりでした。
復興は段階的に進みます。昭和24年(1949年)には「着尺加比丹(かぴたん)」と呼ばれる製品が好評を博しました。既刊第10回・第11回で扱った「カピタン銘仙」の系譜に連なる製品で、戦前からの技術と意匠が戦後にも受け継がれていたことがうかがえます。空襲で設備の大半を失いながらも、産地の技術そのものは絶えていなかったことを示す出来事といえるでしょう。
昭和25年(1950年)には織物消費税が廃止され、戦時中から続いていた奢侈品的な税制上の制約が解かれました。そして昭和26年(1951年)、いよいよ統制が撤廃され、「マフラー」が新商品として登場します。戦時統制の完全な終了を告げる出来事であり、既刊第11回「ガチャ万景気とネクタイ産業」で辿った戦後好況の前提条件が、ここでようやく整ったことになります。
翌昭和27年(1952年)には「ネクタイ交織部門」が開発されました。これは既刊第11回で詳述した、昭和31年(1956年)に全国シェア6割に達するネクタイ産業の本格的な発展へと直接つながる、技術的な布石にあたります。昭和22年の資金導入から昭和25年の消費税廃止、昭和26年の統制撤廃、そして昭和27年のネクタイ交織部門開発——この段階的な歩みは、戦時に失われた設備と技術が、公的な資金と制度の後押しを受けながら少しずつ回復し、ガチャ万景気や紋ウールという戦後の好況期へと接続していく過程を裏づけています。
まとめ
企業整備令による織機供出、そして空襲による焼失。この二段階の打撃で、八王子織物の生産基盤は昭和16年比で約2割にまで縮小しました。それでも産地が完全に絶えることはなく、戦災復興資金を足がかりに、統制撤廃・ネクタイ交織部門の開発という段階を経て、既刊で辿った戦後の好況期へとつながっていきます。
関東大震災後のネクタイ試作からガチャ万景気に至るまでの空白だったこの30年間は、失われた期間であると同時に、次の時代への布石が静かに積み重ねられていた期間でもありました。原糸の配給統制、七・七禁令、企業整備令、空襲、そして復興資金——一つひとつは産地にとって痛手でしかなかったはずの出来事の連なりが、結果として戦後の技術と商品を途切れさせずに残す土台になったことは、記録の上でも見て取れます。
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参考文献
この記事は連載「桑都の織物史」第14話です
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