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風土と工芸の歴史 · 公開: 2026.10.09 · 7分で読めます

多摩御陵と消えた京王御陵線 —— 大正天皇の陵が呼んだ参拝客と、戦時下わずか14年で運行休止した支線

八王子市長房町の皇室墓地「武蔵陵墓地」、通称・多摩御陵。大正天皇の崩御を機にこの地に陵が築かれ、参拝客輸送のために京王電気軌道の支線「御陵線」まで生まれました。開業からわずか14年で戦時下の運行休止に追い込まれたこの支線の23年の記録を、一次資料から辿ります。

木のテーブルに積み重ねられた装丁の古い書物

八王子市長房町、高尾山のふもとに近い一角に、ケヤキ並木の参道と玉砂利の静けさに包まれた皇室墓地があります。通称「多摩御陵」、正式名称「武蔵陵墓地」。今も4つの陵がここに並んでいますが、その始まりは1927年、ある天皇の崩御でした。参拝客を運ぶために生まれた鉄道の支線が、わずか14年で戦争によって役目を断たれていたことを、どれだけの人が知っているでしょうか。一次資料をたどると、ひとつの陵の造営が、鉄道・観光・そして景観保護の仕組みまで動かしていった様子が見えてきます。

連載「桑都の風土記」第13回|この連載をまとめて読む


横山村に決まった陵所 —— 大正天皇崩御から1年での造営

1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が崩御しました。その後の動きは速く、翌1927年(昭和2年)1月3日の官報号外により、南多摩郡横山村・浅川村・元八王子村にまたがる御料地の一部が「武蔵陵墓地」として告示され、横山村内に陵所が定められます。同年2月7日から8日にかけて新宿御苑で「大喪の儀」が執り行われ、このとき陵名が「多摩陵」と告示されました。霊柩列車は深夜に運行され、現地付近へ到着したのは午前1時35分のことだったといいます。

陵の造営は1927年5月2日に起工し、同年12月23日に竣工しました。陵域の面積は2,500平方メートル、陵形は「上円下方(じょうえんかほう)」という、円形の墳丘を方形の基壇が支える古代由来の形式です。崩御からわずか1年足らずで、横山村という一地域が皇室の墓所という重みを背負うことになったわけです。

横山村が選ばれた理由について、紹介記事では地盤の強さと、『万葉集』に「多麻の横山」と詠まれた土地であることの2点が挙げられています。「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」という歌に見える「よこやまの道」が、多摩丘陵の尾根部を指すとされていることにちなむという説明です。ただしこの選地理由を直接裏付ける政府・宮内庁側の一次文書は、今回の調査では確認できておらず、紹介記事の記述として留めておく必要があります。


参拝客が呼んだ鉄道 —— 浅川駅・御陵線の開業

陵が築かれ一般参拝が許可されると、八王子・高尾周辺は急速に交通整備の舞台となっていきます。一般参拝が始まったのは1927年2月13日からの期間限定開放で、翌1928年4月3日からは通年での参拝が許可されました。

参拝客輸送の起点となったのが、1927年の大喪の儀にあわせて新宿御苑に設置された「新宿御苑仮停車場」です。この仮停車場の駅舎は1928年に移設され、「浅川駅」、つまり現在の高尾駅として生まれ変わりました。1930年には「武蔵中央電気鉄道」が浅川駅前から高尾橋間で開通し、同じ年に中央本線も電化されます。

この交通整備の中でもっとも大きな一手が、1931年(昭和6年)の「御陵線」開業でした。京王電気軌道が北野駅から分岐させた支線で、終点は「多摩御陵前駅」。参拝客の増加にともない、武蔵陵墓地周辺は「日本有数の観光名所」と呼ばれるまでになります。皇室の墓所という厳粛な場所が、同時に一大観光地としての顔も持つことになった時代でした。


「不要不急線」指定と、空襲に消えた沿線

その御陵線が姿を消すのは、開業から14年後のことです。1945年(昭和20年)1月21日、戦時下の「不要不急線」指定により、御陵線は運行休止となりました。不要不急線とは、軍事上撤去しても影響が小さいとみなされた路線を指します。輸送量の少ない支線、観光輸送が中心の路線、並行する代替路線がある路線などが対象とされ、御陵線はまさにこの条件に当てはまる路線でした。

運行休止からわずか半年あまり後の同年8月2日、八王子空襲が起こり、沿線の駅舎は焼失します。参拝客で賑わった「日本有数の観光名所」への足は、開業からたった14年で断たれたことになります。

休止後も路線は長らく「休止」という扱いのまま残されましたが、1964年(昭和39年)11月26日、ついに正式な廃止が決まりました。開業の1931年から数えれば33年、運行休止からは19年が経ってのことです。廃線跡には、住宅地の中に取り残されたコンクリート製の橋脚など、現在も一部の遺構が残されています。かつて参拝客を運んだ線路の記憶は、こうした断片として地域の風景に埋め込まれています。


貞明皇后、そして昭和の2つの陵

多摩陵に葬られたのは大正天皇お一人ではありません。大正天皇の皇后・貞明皇后は、1951年(昭和26年)5月17日、狭心症のため崩御しました。同年6月22日に大喪の儀が行われ、9月10日に起工、1952年5月1日に竣工した「多摩東陵」に葬られます。陵域の面積は1,800平方メートルで、生前に愛好した梅や桃など約50種の草木が植栽されました。貞明皇后は、歴代皇后の中で初めて関東の地に陵墓が造営された例となります。

さらに時代が下り、昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日に崩御しました。大喪の礼は同年2月24日、やはり新宿御苑で執り行われ、2月27日に陵名が「武蔵野陵」と定められます。施工を担当したのは大林組で、1990年1月6日の「山陵竣工奉告の儀」をもって最終的な竣工とされました。総面積は約2,500平方メートル、陵造営工事費は約26億円、葬儀と陵造営を合わせた総費用は計100億円にのぼったと報じられています。

ただし、この武蔵野陵については出典間で食い違いが残っています。ある紹介記事は工事開始を1989年4月17日、完成を1990年1月6日としていますが、国立国会図書館レファレンス協同データベースが引く週刊朝日の記事では「1月17日に陵所地鎮祭の儀、わずか1か月後の2月24日の大喪の礼に間に合わせるスピード工事」との記載があり、起工時期の解釈が資料間で異なります。陵の高さについても、朝日新聞は10.5メートル、週刊朝日は16.5メートルとしており、数値が一致していません。こうした食い違いがあること自体、短期間での造営がいかに慌ただしいものだったかを物語っているようにも見えます。

さらに2000年(平成12年)6月16日、昭和天皇の皇后・香淳皇后が崩御し、7月25日の大喪の礼を経て、同年9月25日起工・2001年6月15日竣工の「武蔵野東陵」に葬られました。陵域の面積は1,800平方メートル、高さ6.25メートル、生前に愛好した桃やバラなど約40種の植物が植栽されています。武蔵野陵のほぼ真東に位置することから「武蔵野東陵」と名付けられたといいます。


今も続く参拝と、風致地区という静けさの仕組み

現在、武蔵陵墓地には多摩陵・多摩東陵・武蔵野陵・武蔵野東陵の4陵すべてが揃い、いずれも一般参拝の対象になっています。参拝可能時間は9時から16時まで(参入は15時30分まで)で、原則として年間を通じて開かれています。管理にあたるのは宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所です。

この静けさを守っているのが、都市計画法に基づく「多摩陵風致地区」という仕組みです。当初の指定は昭和5年(1930年)4月1日、昭和51年(1976年)1月14日に変更され、長房町・東浅川町・廿里町・高尾町の各一部、面積36.1ヘクタールが指定区域となっています。区域は第2種のA地域・B地域に分かれ、A地域は陵南公園などの公共用地のみ、B地域は民有地すべてが対象です。建築物については建ぺい率40%以下、外壁後退(道路側2.0メートル以上・隣地側1.5メートル以上)、高さ15メートル以下という基準が課され、宅地造成や木竹の伐採にも許可が必要とされています。

参道にはケヤキ並木が続き、陵墓地内には京都から移植された北山杉が植えられ、荘厳な雰囲気を保っています。


まとめ

大正天皇の崩御という出来事が、横山村という一地域に皇室墓地を生み、参拝客輸送のための鉄道や駅まで呼び込みました。京王電気軌道の支線「御陵線」は1931年の開業からわずか14年、1945年の戦時下「不要不急線」指定で運行休止となり、1964年に正式廃止という道をたどります。一方で陵そのものは、貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后と代を重ねて増え、多摩陵風致地区という景観保護の仕組みとともに、今も参拝者を受け入れ続けています。鉄道は消えても、御陵と、それが生んだ並木道や公園は、この土地に静かに残り続けています。


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連載「桑都の風土記」は、八王子の土地に刻まれた信仰・地形・歴史を、史料と伝承を区別しながら掘り起こすシリーズです。


参考文献

宮内庁「大正天皇 多摩陵」 / 八王子市ホームページ「武蔵陵墓地」「多摩陵風致地区について」 / 三井住友トラスト不動産「街の記憶」「5:『多摩陵』の造営と観光地化 ~ 八王子」 / 国立国会図書館レファレンス協同データベース「昭和天皇の陵墓(武蔵野陵)について、その規模や工事期間、工事業者などが知りたい。」 / 京王電鉄・相武電鉄資料館「京王御陵線(廃止)」 / trafficnews.jp「住宅地に巨大なコンクリート柱なぜ! 戦争で消えた『幻の京王線』じつは今でも一部現役です」

この記事は連載「桑都の風土記」第15話です (全16話・更新中)

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カヅキ

カヅキ

桑都手帖 編集者

ものづくりや意匠設計を学んだ経験をもとに、八王子の風土・歴史・伝統工芸を現代につなぐ記事を書いています。暮らしの手続きについても、調べたことをそのまま書き留めています。