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風土と工芸の歴史 · 公開: 2026.08.24 · 7分で読めます

御主殿の滝 —— 八王子城落城の悲話と、その伝承をめぐる異説

八王子城落城の際に多くの命が失われたと語り継がれる「御主殿の滝」。血に染まった川、あかまんまの風習という悲話の中身と、近年提示されている異説を史実と分けて整理します。

みずみずしい緑の桑の葉

八王子城跡の山麓、御主殿跡のそばを流れる城山川に、小さな滝があります。「御主殿の滝」。この滝には、天正18年(1590年)の落城の際、多くの人がここに身を投げたという悲話が伝えられてきました。ですが近年、この語り継がれてきた悲話に対して、ある疑問が投げかけられています。落城の史実、滝にまつわる伝承、そしてその伝承への異説——3つの層を分けてたどると、この場所が抱える物語の姿が見えてきます。

連載「桑都の風土記」第9回この連載をまとめて読む


天正18年、一日で落ちた城

八王子城は、小田原北条氏三代目・北条氏康の三男である北条氏照が、本拠としていた滝山城から居城を移して築いた山城です。居城の移居時期には諸説ありますが、天正12年(1584年)から天正15年(1587年)の間とされています。城は山頂の「要害地区」(本丸・八王子神社等)と、山麓の居館部「御主殿地区」に大きく分かれており、御主殿はこの居館部の中枢にあたる区画でした。

天正18年(1590年)6月23日、八王子城は豊臣秀吉による小田原征伐の一環として、前田利家・上杉景勝らを中心とする豊臣方の軍勢の攻撃を受けました。城主・北条氏照はこのとき小田原城の防衛に入っており、城を離れていました。城に残っていたのは、城代の横地監物吉信(よこじけんもつよしのぶ)、家臣の狩野主膳一庵(かのうしゅぜんいちあん)、中山勘解由家範(なかやまかげのゆういえのり)、近藤出羽守綱秀(こんどうでわのかみつなひで)ら氏照の重臣たちでした。

籠城していたのは、これらの武将だけではありません。領内から動員・保護された領民、女性や子どもを含む人々が城に集められており、籠城側の総数は約3,000人にのぼったとされます。対する攻城側は約1万5,000人。籠城側の5倍にのぼる圧倒的な兵力差があったこの戦いは、わずか1日で決着がつきました。

城は陥落し、この落城が小田原城開城を決定づける要因の一つとなり、まもなく北条氏は滅亡します。氏照自身も、小田原で兄・氏政とともに切腹しました。

城内に残っていた重臣たちの多くは、この天正18年6月23日のうちに討死、あるいは自刃したと伝わります。横地監物、狩野一庵、中山家範ら、城を託されていた者たちの最期は、この落城の悲劇性を語るうえで欠かせない要素になっています。


御主殿の滝に伝わる身投げの悲話

御主殿は、氏照の政庁・居館にあたる区画で、儀式や政務、来客対応が行われた八王子城の中枢部でした。そのすぐそばを流れる城山川に、「御主殿の滝」と呼ばれる滝があります。落城時、ここで多くの命が失われたというのが、地域で語り継がれてきた悲話です。御主殿跡から城山川沿いを少し進んだ木々に囲まれた一角にあり、観光地としてにぎわうというより、訪れた人が静かに手を合わせたくなるような佇まいの場所です。

伝承の内容はこうです。落城が決定的になった際、御主殿にいた北条方の婦女子や武将たちが、滝の上流部で自刃し、次々とこの滝に身を投げていったといいます。城主・氏照の正室も、このとき自刃したと伝わっています。城の中枢だった御主殿が、落城の瞬間には多くの人の最期の場所になった——というのが、この滝にまつわる悲話の骨格です。


血に染まった川と「あかまんま」の風習

この悲話には、さらに続きがあります。落城のとき、城山川の水は三日三晩にわたって血に染まったと伝えられています。麓の村では、この川の水で米を炊くと赤く染まったといい、この言い伝えが、地域に残るある食の風習に結びついていきます。

先祖供養のために小豆の汁で米を炊いた「あかまんま」(赤飯)を炊く風習が、この言い伝えに由来するものとして、地域で現在まで続いているとされます。滝のそばには供養塔(慰霊碑)が建てられており、地元有志や北条氏の子孫らによって、今も慰霊のための法要が営まれていると伝えられています。悲話が単なる昔語りにとどまらず、供養という形で現在の暮らしとつながっている点が、この伝承の特徴といえます。供養の営みが今も続いていること自体、この土地の人々にとって落城が単なる過去の出来事ではなく、大切に語り継ぐべき記憶であり続けていることを物語っています。


伝承への異説 —— 本当に集団投身はあったのか

御主殿の滝での集団投身は、これまで広く語られてきました。しかし、この悲話を紹介する記事の多くは「言われています」「伝えられています」という表現を一貫して用いており、学術的な史料による裏付けは明示されていません。つまりこれは、史実として確定した出来事ではなく、伝承として扱うべき性格のものだということになります。

そして近年、この伝承そのものに対する異説も提示されています。ある郷土史の考察では、次のような疑問が投げかけられています。御主殿は山麓にあり、戦時には最前線に近い区画にあたります。人質として価値の高い女性や子どもを、あえてそのような危険な場所に置いていたと考えるのは不自然ではないか、という指摘です。

さらに、豊臣方は八王子城の攻略にあたり、捕らえた女性たちを見せしめとして小田原へ護送するよう命じていたとされます。この命令が事実であれば、女性たちは自ら身を投げる前に捕縛されていた可能性が高く、「次々と身を投げた」という悲話の筋書きとは矛盾することになります。これらを踏まえ、集団投身の逸話は、落城後の後世に形成された物語である可能性がある、という見方が示されているのです。

ただし、これらの異説もまた、個人や郷土史愛好家による考察であり、学術的な検証を経た定説ではありません。したがって現状は、「広く語られる伝承」と「その伝承に対する異説」の両方が存在する状態にあると整理するのが妥当で、どちらか一方を史実として断定すべきではないでしょう。


発掘が明かした御主殿跡、そして今

御主殿跡の姿が今のように見学できるようになったのは、発掘調査のおかげです。落城から400年の節目にあたる平成2年(1990年)、御主殿跡で発掘調査と整備が行われ、確認された石垣・虎口(こぐち)・曳橋(ひきはし)・古道が復元整備されました。現在、現地を訪れると、この発掘に基づいて復元された石垣や曳橋を実際に見ることができます。

山頂の要害地区(本丸跡・八王子神社等)と御主殿地区を合わせて、曲輪・堀切・井戸などの遺構が良好に残っており、国指定史跡「八王子城跡」を構成しています。平成18年(2006年)4月には、日本城郭協会により「日本100名城」にも選定されました。この選定は、戦国期の山城としての遺構の残り具合が全国的にも評価されていることの表れであり、現在も多くの歴史愛好家が訪れる目的地の一つになっています。麓には八王子城跡ガイダンス施設も設置されており、出土品や城の歴史についての解説を見学できます。

現地は東京都八王子市元八王子町3丁目にあり、JR中央線・京王高尾線の高尾駅から西東京バス「八王子城跡」行き終点で下車し、徒歩約20分で御主殿跡に着きます。山頂の要害地区まで足を延ばす場合は本格的な登山道となり、往復2時間程度を要します。なお、御主殿跡・御主殿の滝周辺は近年クマの目撃情報があるエリアとして市から注意喚起されているため、訪れる際は最新の情報を確認しておきたいところです。


城は落ちても、家臣の血は続いた

御主殿の滝の悲話や、あかまんまの風習として語り継がれる伝承がある一方で、落城後の史実そのものにも、続きの物語があります。落城戦で命を落とした重臣たちのその後にも、目を向けておきましょう。城代の横地監物吉信、家臣の狩野主膳一庵、中山勘解由家範らは、いずれもこの一日の戦いで討死したと伝わっています。しかし、彼らの血筋がそこで途絶えたわけではありませんでした。

これら重臣の遺児の一部は、落城後に徳川家康に見出されて召し抱えられ、江戸幕府や水戸徳川家の重臣として存続した家系があります。城は一日で落ち、多くの命が失われた一方で、家臣の血筋は徳川方で存続していく——こうした構図は、八王子城落城後の武蔵国において、複数の家に共通して見られる展開です。落城を単なる悲劇として語るだけでなく、その後の徳川政権下での再編過程として捉える視点も、この城の歴史には成り立つでしょう。御主殿の滝の悲話が「失われたもの」を語る物語だとすれば、家臣の血筋が続いたという史実は「受け継がれたもの」を語る、もう一つの側面といえます。


まとめ

御主殿の滝の悲話は、八王子城落城という天正18年6月23日の確定した史実と、投身の具体的な逸話という伝承が重なり合った題材です。血に染まった川、あかまんまの風習として今に伝わる物語は、地域の記憶として大切にされてきた一方、近年ではその成立過程に疑問を投げかける異説も示されています。どちらが正しいと決めつけるのではなく、史実と伝承と異説、それぞれの層を分けて眺めることが、この滝の前に立ったときに持っておきたい視点です。落城という一日の出来事が、400年以上を経た今も供養の風習や異説という形で語り継がれていること自体が、この土地の記憶の厚みを物語っています。


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連載「桑都の風土記」は、八王子の地形・史跡・生活文化を一つずつ掘り下げていくシリーズです。

参考文献

八王子市ホームページ「八王子城跡」 / 福生市郷土資料室「北条氏照(ほうじょううじてる) -滝山・八王子城主-」 / 攻城団「御主殿の滝|八王子城のガイド」 / 高尾山マガジン「八王子城跡と御主殿の滝」 / 戦国BANASHI「八王子城 — 北条氏照の「最後の山城」を歩く」

この記事は連載「桑都の風土記」第2話です (全2話・更新中)

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カヅキ

カヅキ

桑都手帖 編集者

ものづくりや意匠設計を学んだ経験をもとに、八王子の風土・歴史・伝統工芸を現代につなぐ記事を書いています。暮らしの手続きについても、調べたことをそのまま書き留めています。