ガチャ万景気とネクタイ産業 —— 戦後八王子織物の絶頂と転換

この記事の目次
昭和20年(1945年)8月2日、八王子空襲で市街地の9割が焼け野原になりました。それからわずか数年後、この街では「ガチャンと機を織れば万の金がもうかる」という言葉が生まれ、やがて八王子はネクタイの生産量で全国の7割を占めるまでになります。壊滅から絶頂へ、そして絶頂から空洞化へ——戦後八王子織物の激動の道のりをたどります。
連載「桑都の織物史」第11回|この連載をまとめて読む
焼け跡に残った二割の工場
昭和20年(1945年)8月2日夜、八王子は空襲に見舞われました。市街地の約90パーセントが焦土と化したこの空襲で、織物産業もまた大きな打撃を受けています。八王子織物工業組合公式サイトの年表によれば、敗戦・空襲によって「残存設備の半数をさらに消失」する事態となったといいます。
すでに戦時中の統制経済のもとで生産設備の縮小が進んでいたところに、この空襲が追い打ちをかけました。終戦時に残っていた工場数は、昭和16年(1941年)時点のおよそ2割にまで落ち込んでいたと伝わります。江戸期から続いてきた桑都の織物産業は、ここでほぼゼロからの再出発を強いられることになりました。統制経済下ですでに縮小していた設備が、空襲でさらに半減したという二重の打撃は、他の産地と比べても回復への道のりを一段と険しいものにしていたと考えられます。
「ガチャンと織れば万の金」——ガチャ万景気の到来
しかし焦土からの立ち上がりは早いものでした。昭和22年(1947年)、戦災復興資金が導入され、失われた織機や設備の再建に向けた資金供給が始まります。さらに昭和24年(1949年)には繊維関係の統制が撤廃されました。折しも戦後の衣料不足は深刻で、需要は堰を切ったように織物産地へ向かいます。
この時期の熱狂ぶりを伝える言葉が「ガチャ万」です。「ガチャンと機を織れば万という金がもうかる」——そうした意味合いで呼ばれたこの好況の語は、八王子市公式サイト・八王子織物工業組合公式サイトの双方に記録が残っています。昭和25年(1950年)には織物にかかる消費税が廃止され、需要拡大にさらに拍車がかかりました。昭和26年(1951年)には繊維統制が正式に撤廃され、統制のくびきから解かれた産地は自由な生産と流通を手に入れます。焼け跡から数年、八王子の機屋には再び活気が戻っていました。
なお、同じ時期には婦人向け製品「着尺加比丹(かぴたん)」も好評を博したことが組合年表に記録されています。婦人向け銘仙・カピタンの盛衰については、連載第10回「八王子銘仙とモダン文化」で詳しく扱っていますので、あわせてご覧ください。
着尺からネクタイへ——産業の転身
好況のただなかで、八王子の織物産業は次の転換点を迎えます。昭和26年(1951年)、マフラーが新商品として登場し、着物地一辺倒だった生産に雑貨織物という新しい柱が加わりました。翌昭和27年(1952年)には、ネクタイ交織部門の開発が本格的に始動します。
実はネクタイそのものへの挑戦は、これが初めてではありませんでした。連載第10回で触れたとおり、大正13年(1924年)に設立された「八王子織物柄の会」の活動のなかで、すでにネクタイの試作自体には成功していました。しかし当時は本格的な量産や産地としての転換には至りませんでした。それが戦後のこの時期になって、ようやく産地の主軸を担うまでの規模で花開くことになります。
背景にあったのは、洋装化とサラリーマン層の拡大というライフスタイルの変化でした。スーツにネクタイという装いが日常の風景になっていくなかで、需要は着実に伸びていきました。一方で、婦人向けの着尺市場——銘仙やカピタンといった絹織物——は、戦後になって急速に縮小していきます。八王子の機屋にとって、ネクタイは単なる新商品ではなく、縮む市場に代わる新しい生命線でした。大正期に一度花開かなかった試みが、戦後の生活様式の変化という追い風を得て、四半世紀越しに主力商品へと育っていったことになります。
全国シェア6割から7割へ——黄金期の実像
転換の成果は、数字となって表れます。昭和31年(1956年)、八王子はネクタイの合繊分野に進出し、生産量で全国の6割を占めるに至りました。この数値は八王子市公式サイト・八王子織物工業組合公式サイトの双方に記載されている、確かな史実です。
さらに勢いは続いたとされます。昭和34年(1959年)には、八王子産ネクタイが国内生産量の約7割を占めるまでに拡大したという資料もあります。1956年の6割から1959年の7割へという右肩上がりの推移でした。この時期を象徴する動きとして、地場企業「成和」が昭和31年(1956年)に明神町でネクタイ工場を開設し、昭和36年(1961年)には北野町にネクタイ専門の製織工場を建設したことも記録されています。
「7割」という数値そのものの一次統計への到達はまだできていませんが、複数の資料が同じ傾向を伝えている点からも、昭和30年代前半の八王子が、ネクタイという一品目で全国を席巻する産地だったことは間違いありません。空襲からわずか10年あまりでの絶頂でした。全国で結ばれるネクタイの10本に6〜7本が、この八王子の機屋から出荷されていた計算になります。
同業組合から工業組合へ——組織の三段変化
産地の変貌は、これを支えた組織の名称の変遷にも刻まれています。もっとも古い組織は明治32年(1899年)設立の「八王子織物同業組合」で、発足時の組合員数は約3,900人にのぼったと組合公式サイトは伝えます。江戸期から続く織物のまちが、近代的な産業組織を持った瞬間です。
戦後、この組織は二度の名称変更を経験します。昭和25年(1950年)、ガチャ万景気のさなかに「八王子織物協同組合」へと改称され、戦後復興を反映した組織再編が行われました。そして昭和33年(1958年)、ネクタイ産業への転換と産業規模の拡大を経て、現在まで続く「八王子織物工業組合」へと名を改めました。組合の看板が変わるたびに、そこには着物のまちから工業製品としてのネクタイを量産する産地への転身が刻まれていたことになります。
力織機9,000台から758台へ——産地空洞化の代償
だが黄金期は長くは続きませんでした。1950年代(昭和25〜34年頃)、八王子産地全体で稼働していた力織機は9,000台以上に達していたとされます。それが1998年(平成10年)には、稼働台数がわずか758台にまで落ち込みました。半世紀に満たない期間で9割以上が姿を消した計算になります。
衰退の要因として挙げられるのは、現場を支えてきた職人の高齢化と後継者不足、そしてアジア諸国からの安価な繊維製品の輸入増加です。この時期の産地空洞化は、八王子に限った話ではなく、日本の繊維産業全体が輸入品との価格競争と産業構造の転換に直面していた時代と重なります。なお、連載第9回「桑の木が消えた日」で扱った養蚕業の衰退は昭和30年代からの化学繊維の台頭と農業構造の変化が要因であり、ここで見た織物製品そのものの産地間・国際間競争とは、時期も要因も異なる別の衰退だった点には留意しておきたいところです。全国シェア7割を握った黄金期からわずか40年ほどで、産地の姿は大きく様変わりしたことになります。
多摩織という延命策、そして今へ
ネクタイという実用衣料での量産競争が国際的な価格競争のなかで縮んでいくなか、産地は生き残りの道を別の方向にも見出していきます。昭和55年(1980年)、八王子の「多摩織」が通商産業省(当時)から伝統的工芸品の指定を受けました。多摩結城・紬織・風通織・変わり綴・捩り織という5種類の織物を総称するこの多摩織は、大量生産品としてのネクタイとは対極にある、高付加価値・伝統技術としての織物を残すための産地戦略の転換点でした。昭和57年(1982年)には東京都の伝統工芸品にも指定され、令和2年(2020年)には日本遺産「桑都物語」の構成文化財の一つとしても認定されています。
そして現在も、八王子織物工業組合の公式サイトを見ると、ネクタイは今なお主力製品の一つとして紹介されています。生産量は往時の規模には及ばないものの、国内有数のネクタイ産地としての地位は今も維持されているといいます。八王子駅前に立つモニュメント「絹の舞」は、この街が織物とともに歩んできた記憶を、行き交う人々に今も静かに伝え続けています。量産品としての実用衣料から、伝統技術としての工芸品へ——産地の生き残り方そのものが、時代とともに姿を変えてきたと言えるでしょう。
まとめ
空襲で街の9割を焼かれた八王子の織物産業は、戦災復興資金と統制撤廃という追い風を受けて「ガチャ万景気」に沸き、着尺からネクタイへと軸足を移すことで全国シェア7割という黄金期を築きました。しかしその絶頂も、高齢化と海外製品との競争のなかで力織機9,000台が758台へと縮む長い坂を下ることになります。それでも多摩織という形で技術は受け継がれ、ネクタイの産地としての名も今に残っています。壊滅と絶頂、そして転換——この街の織物史は、一本調子の物語ではありませんでした。
この連載の他の記事
連載「桑都の織物史」は、八王子が「桑都」と呼ばれた所以となった織物産業の歩みを、多角的な視点から辿るシリーズです。
- 前の回: 八王子銘仙とモダン文化
- この連載をまとめて読む: なぜ八王子は「桑都」と呼ばれるのか
参考文献
八王子市ホームページ「八王子織物の歴史」 / 八王子織物工業組合公式サイト「歴史・伝統」「組合について」「製品」「伝統的工芸品 多摩織」 / 多摩未来協創会議「第2回 八王子繊維産業の歴史と現在」
この記事は連載「桑都の織物史」第2話です
伝統的工芸品産業振興法とは —— 多摩織が「伝統的工芸品」になるまで
Support
※ Stripe決済(合同会社月香が運営)で安全にお支払いいただけます






