関東大震災と八王子織物 —— 洋装化の衝撃とネクタイ生地事始め
全国一位の絹織物産地だった大正期の八王子が、関東大震災と洋装化の波をくぐり抜けてネクタイ生地の生産に踏み出すまでを、一次資料から辿ります。

この記事の目次
大正10年(1921年)、八王子織物は生産数350万点、生産額4,056万円という記録を打ち立て、国内の産地別生産高で全国1位に立ちました。2位は伊勢崎、3位は西陣。江戸の昔から織物のまちとして知られた八王子が、名実ともに日本一の座に届いた瞬間です。ですがこの絶頂のすぐ先には、恐慌と震災、そして「和装から洋装へ」という時代そのものの転換が待っていました。全国一の産地は、この大正期の激動をどうくぐり抜け、何を新しく生み出したのでしょうか。
連載「桑都の織物史」第12回|この連載をまとめて読む
全国一位の産地が迎えた足踏み
大正10年(1921年)4月、八王子商工会議所の第6代会頭に城所國三郎が就任しました。その年、八王子織物の生産数は350万点を突破し、生産額は4,056万円に達します。国内産地別生産高ランキングで八王子は全国1位となり、2位の伊勢崎(群馬県)、3位の西陣(京都府)を上回りました。
もっとも、この記録は無風の中で生まれたものではありません。第一次世界大戦(大正3年/1914年勃発)中の好況で絹織物需要は大きく伸びましたが、大正9年(1920年)には戦後恐慌が起こり、絹織物の価格が大幅に下落しました。八王子商工会議所の年表には、この年「投げ売りや休業が相次ぐ」と記録されています。
つまり大正10年の全国1位という記録は、恐慌をいったん乗り越えた直後の、束の間の絶頂だったことになります。好況と不況が数年周期で繰り返される構造は、戦後の「ガチャ万景気」とその反動にも通じるものがあります。全国一の産地という肩書きの裏側で、八王子の機屋たちはすでに一度、価格暴落の痛みを経験していたのです。
織物産業の勢いは、まち全体の成長とも重なっていました。大正6年(1917年)9月の市制施行によって、八王子は東京府で最初に「市」となった町になります。人口規模でも東京府内で東京市に次ぐ2番目の都市へと成長しており、織物産業の好況が、まちの規模そのものを押し上げる原動力の一つになっていたことがうかがえます。産地としての実力と、都市としての存在感が、大正10年前後の八王子では並行して高まっていたのです。全国一の産地という称号は、単なる生産統計上の記録にとどまらず、まちの骨格を形づくる出来事でもあったのです。
大正12年、関東大震災と流通の混乱
そして大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が発生します。東京市街地や横浜のような火災による大量焼失といった壊滅的な直接被害を八王子が受けた記録は、今回確認した資料群には見当たりませんでした。ですが、震災は別の形で織物産地に影を落とします。
八王子商工会議所の年表によれば、震災翌月の同年10月、会議所は「震災後の輸送問題検討」を行っています。鉄道や道路といった輸送網の混乱が、織物の集荷・出荷に影響を及ぼしたことがうかがえます。産地としての生産設備そのものが震災で失われたのではなく、製品を運び出す道が寸断されたことが、当面の課題として浮上したわけです。
震災の翌々年にあたる大正14年(1925年)には、玉南電気鉄道(東八王子〜府中間)が開通しました。震災を経て、交通インフラの整備が進んでいく流れの一環として位置づけられます。それまで生糸や織物の輸送は既存の鉄道網と街道に頼る部分が大きく、震災による混乱はその脆さを産地に改めて意識させる出来事だったとも言えます。産地としての足腰を立て直す動きは、震災の直後から静かに始まっていました。
震災が全国に広げた「洋装化」のうねり
関東大震災は、日本の衣生活における和装から洋装への転換を加速させる社会的な契機になったとされています。和装は動きにくく、避難行動の妨げになったという指摘が背景にあります。この洋装化の流れは、昭和7年(1932年)の白木屋百貨店火災(女性店員の和装が被害を広げたとされる事例)とあわせて、大正末期から昭和初期にかけて段階的に進んでいきました。
八王子織物工業組合も公式サイトで「大正デモクラシーを背景として始まった八王子のネクタイ」という表現を用い、大正期の社会変化とネクタイ産業の始まりを結びつけています。洋装化は、着尺や銘仙といった伝統的な和服向け絹織物の需要を長期的には縮小させる方向に働きました。その一方で、ネクタイや洋装地という新しい織物需要を生み出す転機にもなったのです。
ここで一つ、正確に述べておくべきことがあります。震災と洋装化の因果関係は複数の一般的な文化史記事で語られていますが、いずれも社会全体の傾向を扱ったものであり、「震災が直接の引き金となって八王子の機屋がネクタイ生地に着手した」と明示した一次資料は、今回の調査では見つかりませんでした。時期が重なっているという状況証拠にとどまる点は、記事としても断定せずにお伝えします。
それでも、大正10年の絶頂、大正12年の震災、そして全国的な洋装化のうねりという三つの出来事が、数年のうちに立て続けに八王子の産地を取り巻いたことは事実です。着物地一本で勝負してきた機屋たちが、需要の変化を肌で感じ取るには十分すぎる時間の重なりだったといえるでしょう。
大正13年、橋本康寿とネクタイ生地事始め
大正13年(1924年)10月、橋本康寿という人物が八王子でネクタイ生地の生産を開始しました。八王子商工会議所の公式年表は、これを八王子におけるネクタイ生産の起点として明記しています。
八王子市公式サイトの「八王子織物の歴史」ページにも、「大正末には初めてネクタイが作られ、今でも八王子は国内有数のネクタイの産地となっている」と記されています。震災を挟んだこの時期、婦人物の着尺への進出をはじめとした新製品開発も同時に進んでおり、ネクタイはこうした多角化の流れの一つとして始まったといえます。着尺という和装の主力商品を抱えながら、同時に洋装向けの新分野へ手を伸ばす。ひとつの品目に頼らない多角化の姿勢は、恐慌と震災を経験した産地ならではの危機対応だったとも読み取れます。
ただし、この段階はあくまで「生地生産の開始」にとどまります。ネクタイが八王子の代名詞と言えるほどの量産・全国シェア規模の産地に育つのは、既刊第11回で辿った戦後(昭和26〜34年)の「ガチャ万景気」の時代を待つことになります。大正13年のネクタイ事始めから、戦後の産地化までは30年近い開きがあるのです。震災の混乱の中で蒔かれた小さな種が、実を結ぶまでには一世代分の時間がかかりました。
郊外へ広がる工場、街を変えたインフラ
大正期には電力インフラの整備が進み、電気で動く大型の力織機が普及していきました。これにより織物生産は、家の中で織る家内制から、工場で織る工場制へと徐々に移行していきます。
力織機自体は明治30年代後半にはすでに八王子に導入されていましたが、大正3年(1914年)の第一次世界大戦勃発後の好況と国産力織機の登場を背景に、電力への転換が急速に進みました。その結果、力織機の稼働音が問題となり、中心市街地にあった機屋は郊外の小宮町・大和田町・中野上町・中野町などへ移転し、土地を購入して工場施設を構えるようになります。それまで町家の一角で織られていた織物が、まとまった敷地を持つ工場で織られるようになったのもこの時期です。家内制のなかで培われてきた技術が、工場制という新しい生産の仕組みに移し替えられていく過程でもありました。
震災の被災経験は、もう一つの動きも呼び起こしました。上水道敷設の機運が高まり、大正15年(1926年)に着工、昭和3年(1928年)に給水が開始されたのです。同じ昭和3年には、産地の技術基盤を支える東京府立染織試験場も設立されました。震災は直接の被害だけでなく、都市としての足腰を鍛え直すきっかけにもなったといえるでしょう。電力・水道・試験機関という産業の土台が大正末から昭和初期にかけて一気に整ったことは、その後八王子がネクタイという新分野を軌道に乗せていくうえでの、目立たないながらも重要な準備期間だったと言えます。
まとめ
大正10年の全国1位という絶頂、その裏にあった恐慌の伏線、関東大震災による流通の混乱、そして震災を経て全国に広がった洋装化のうねり——これらが折り重なった大正期の終わりに、橋本康寿によるネクタイ生地の生産が静かに始まりました。それは戦後の「ガチャ万景気」のような華やかな成功物語ではなく、まだ産地全体を動かすほどの規模ではありません。ですが、着物のまちだった八王子がネクタイのまちへと姿を変えていく、その最初の一歩がここにあったことは確かです。
全国一の記録も、震災の混乱も、洋装化のうねりも、当時の機屋たちにとっては先の見えない出来事の連続だったはずです。それでも産地は着尺を手放さず、同時に新しい生地に手を伸ばすという道を選びました。その選択が実を結ぶまでには30年近い歳月がかかりましたが、大正の終わりに蒔かれた種は、戦後の八王子を国内有数のネクタイ産地へと導く長い物語の、確かな出発点になったのです。
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連載「桑都の織物史」は、桑都・八王子の織物産業500年の歩みを時代ごとに辿るシリーズです。
- 前の回: ガチャ万景気とネクタイ産業 — 戦後八王子織物の絶頂と転換
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参考文献
八王子商工会議所「織物工業の進展と震災」 / 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 2:『八王子織物』と製糸業の発展」「このまちアーカイブス 4:大正〜昭和戦前期の八王子」 / 八王子市公式ホームページ「織物のまち八王子」「八王子織物の歴史」 / アーバンライフ東京「和装から洋服へ―昭和初期、東京の女性ファッションを一変させた『大火災』の記憶」 / 八王子織物工業組合「トップページ」「製品」
この記事は連載「桑都の織物史」第3話です
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