陣馬街道と和田峠 —— 甲州裏街道に生糸を運んだ道と、村が守った小さな関所
八王子から和田峠を越えて甲斐国へ抜ける陣馬街道は、江戸期には「案下道」と呼ばれた甲州街道の裏街道でした。村人が守った関所、街道を押さえた山城、そして童謡「夕焼小焼」のふるさとまで、裏街道が抱える記憶を一次資料で辿ります。

この記事の目次
甲州街道といえば、八王子から小仏峠を越えて甲斐国へ向かう本道を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。実はこの本道と並ぶように、地図にはほとんど載らない「もう一本の甲州街道」が恩方の山あいを走っていました。今回は、この裏街道が抱えてきた関所・山城・伝承、そしてある童謡のふるさとまでを辿ります。
連載「桑都の風土記」第12回|この連載をまとめて読む
陣馬街道とは何か —— 甲州裏街道の呼び名の変遷
現在「陣馬街道」と呼ばれているのは、八王子市街の追分交差点(国道20号=甲州街道との分岐点)から西へ分かれ、恩方地区を抜けて和田峠を越え、神奈川県相模原市緑区佐野川地区を経て、山梨県上野原市で再び甲州街道の系統に合流する道です。路線としては東京都道・山梨県道・神奈川県道521号上野原八王子線にあたります。
しかしこの名前が使われ始めたのは意外と新しく、東京都の通称道路名として正式採用されたのは1963年(昭和38年)のことでした。それ以前は、沿道の武州案下(あんげ、現在の八王子市上恩方町・下恩方町一帯の旧称)にちなんで「案下道」と呼ばれ、甲州街道の裏街道にあたることから「甲州裏街道」「甲州脇往還」とも呼ばれていました。地域ごとに「恩方街道」「佐野川往還」という呼び名も併存していたといいます。
つまり「陣馬街道」という現在の呼称そのものが、道の歴史からすればごく最近の一枚の看板にすぎません。看板の下には、何百年分もの人と物の往来が積み重なっています。同じ一本の山道に複数の名前が併存していたという事実自体が、この道が単一の行政・地域だけのものではなく、武蔵・甲斐・相模の三国にまたがる裏道として使われてきたことを物語っています。
和田峠 —— 東西で呼び名が違う峠
案下道の最大の難所が、標高690メートルの和田峠です。東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の境に位置し、道幅の狭いヘアピンカーブが連続する区間では勾配が12〜13%に達します。積雪や凍結が起きると通行止めになることも珍しくありません。
この峠、実は東西で呼び名が違います。「和田峠」は相模側(神奈川県藤野・佐野川方面)からの呼び名で、八王子側では元来「案下峠」と呼ばれていたという記述が残っています。現在は「和田峠」の呼称だけが広く定着し、「案下峠」の名は地元の郷土研究の中にひっそりと残る形になりました。
峠には明治初期から中期にかけて開業した茶屋があったと伝えられ、かつては山賊(追いはぎ)が出没したとも言われます。人けの少ない峠道が、旅人にとって心細い場所であったことがうかがえます。
口留番所跡 —— 裏街道に置かれた村の関所
案下道沿いの上恩方町高留、現在の地名でも「関場」と呼ばれる場所に、江戸時代を通じて「口留番所」が置かれていました。甲州街道本道の小仏関所のような正式な関所ではなく、村持ちの施設で、周辺の村人36人が交代で勤務にあたったと伝わります。
この番所が取り締まっていたのは、通行人だけではありません。甲州街道の小仏峠越えルートが主要街道として整備される以前、案下道は武蔵国と甲斐国を結ぶ重要な道の一つで、生糸や木炭といった山産物を江戸へ運ぶ流通路としての役割も担っていました。小さな関所は、そうした荷と人の両方に目を光らせていたことになります。
1869年(明治2年)、太政官布告により番所は廃止されました。跡地は1956年(昭和31年)7月28日に八王子市の指定史跡となり、現在は「夕やけ小やけふれあいの里」の先の緑地帯に、松姫之碑・金照庵跡碑・関所跡碑・関場記碑といった石碑群が保存されています。JR高尾駅北口から西東京バスに乗り「関場」バス停で降りれば、徒歩2分でたどり着けます。
松姫が抜けた道 —— 伝承と、既出記事との違い
口留番所跡に建つ石碑の一つは「松姫」を記念するものです。松姫は武田信玄の娘とされる人物で、1582年(天正10年)に武田家が天目山で滅んだ際、この案下道を通って八王子・恩方方面へ逃れたと伝えられています。
人けの少ない裏街道だからこそ、身を隠しながら逃れる道として選ばれたのだとすれば、案下道の地理的な性格をよく表す伝承だといえるでしょう。松姫はその後、八王子の信松院(現在の八王子市台町)で仏門に入り、地域の機織り技術の振興に関わったと伝えられています。この後半生については既に別の記事で詳しく紹介しているため、ここでは案下道を通って逃れたという、通過ルートとしての側面だけを取り上げました。
浄福寺城 —— 案下道を押さえた大石氏の山城
案下道沿いの下恩方町には、新城、案下城、松竹城、千手山城などいくつもの別称を持つ中世山城の跡があります。浄福寺城です。一説では1384年(至徳元年)、関東管領・上杉憲顕に仕えた大石信重が築いたとされます。大石氏は木曾義仲の後裔を称する武家で、翌至徳2年(1385年)には拠点を二宮の館からこの浄福寺の館へ移したと伝わり、以後、甲府方面へ通じる案下の古道を押さえる戦略的な位置を占めることになりました。
1524年12月14日、山内上杉憲政方の攻勢によって浄福寺城は落城し、城主だった大石道俊・大石憲重は小田原城へと逃れたと記録されています。その後、北条氏照が大石家の家督を養子として継いだ際、最初に入城したのがこの浄福寺城だったとする説もあります。氏照はのちに本拠を高月城、滝山城、そして八王子城へと移していきました。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原攻めで八王子城が落城すると、浄福寺城もほぼ同時に落城・廃城になったとみられています。跡地は1972年(昭和47年)1月27日、八王子市の指定史跡となりました。裏街道の峠道は、戦国期には城主の去就を左右するほどの要衝でもあったのです。
中村雨紅と「夕焼小焼」—— 恩方が生んだ童謡
案下道が育んだのは、関所や城だけではありません。誰もが一度は耳にしたことがある童謡「夕焼小焼」も、この道沿いの恩方から生まれました。
作詞者の中村雨紅(本名・高井宮吉)は1897年1月7日、現在の八王子市上恩方町にある宮尾神社の宮司・高井丹吾の三男として生まれました。上恩方尋常小学校、恩方村報恩高等小学校で学んだのち教職に就き、子どもの情操教育の必要性を感じて童謡・童話の創作を始めたといいます。
詩「夕焼小焼」が書かれたのは大正8年(1919年)のことです。当時、上京して教員をしていた雨紅が、恩方村から八王子駅まで約16キロメートルを歩いて通勤する道すがら見た夕焼け空に、幼いころの故郷の記憶を重ねて描いたと伝えられています。草川信が曲を付け、大正12年(1923年)7月、文化楽社刊の楽譜集『文化楽譜―あたらしい童謡』にわずか5曲のうちの1曲として収録・発表されました。当初はピアノ購入者への無料配布という小さな流通でしたが、大正14〜15年頃のレコード化を経て、やがて全国に広まっていきます。1972年5月8日に雨紅が没した後も歌は歌い継がれ、生家である宮尾神社の境内には1956年(昭和31年)9月10日、雨紅自筆の歌碑が除幕されました。
案下道という裏街道を、教員時代の雨紅も歩いていたのかもしれません。関所や山城が守った道の先で、日本中の子どもが口ずさむ歌が生まれていたことになります。
現在の陣馬街道 —— 峠を越える人と物流の記憶
現在の陣馬街道は全線が舗装され、陣馬山への登山口である陣馬高原下へのアクセス路として、また峠越えのドライブ・ツーリングルートとして親しまれています。西東京バスがJR高尾駅から陣馬高原下停留所まで路線を走らせており、登山者にとっての主要なアクセス手段になっています。
沿道には浄福寺城跡や、中村雨紅の生誕地に近い「夕やけ小やけふれあいの里」、陣馬山の烽火台などの見どころが点在し、歩いて回れば今回紹介してきた歴史がそのまま地形として体感できます。和田峠を越えた先の神奈川県相模原市佐野川地区は、かつて絹(生糸)の生産・流通に関わった集落だったとされ、峠道を挟んで甲州側との人と物の往来があったことをうかがわせます。
舗装路になった現在も、峠道は自然災害と無縁ではありません。2019年(令和元年)10月の台風19号(東日本台風)では、都道521号(陣馬街道)の陣馬高原下バス停から和田峠にかけての区間が土砂災害等により通行止めとなり、解除されたのは同年11月6日でした。江戸期の関所が取り締まっていたのは人と荷でしたが、令和の裏街道を脅かすのは、今も昔も変わらぬ山の天候そのものだといえるかもしれません。
まとめ
甲州街道の裏に隠れたもう一本の道には、村人が交代で守った小さな関所、戦国の攻防を経た山城、そして童謡のふるさとという、性格の異なる記憶が幾重にも重なっていました。表舞台の本道からは見えにくい歴史ほど、地元の暮らしに近い場所に残っているのかもしれません。関所の石碑、城跡の緑地、歌碑という三つの小さな標のうち、どれか一つでも近くを通りかかった際には足を止めてみると、裏街道の重なりが少し身近に感じられるはずです。和田峠を越えるバスに揺られながら、そんな裏街道の記憶に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
この連載の他の記事
連載「桑都の風土記」は、八王子の地形・信仰・産業をめぐりながら、この土地の成り立ちを一つずつ辿るシリーズです。
- 前の回: 絹の道と鑓水商人
- この連載をまとめて読む: 高尾山の修験道
参考文献
八王子ジャーニー「陣馬街道と陣馬山。恩方地域の歴史と文化をたどる」 / note「東京都八王子にある和田峠表裏峠ドライブのご紹介」 / Motor Fan「甲州裏街道と呼ばれた陣馬街道はいまも裏道だった」 / 八王子見て歩記「口留番所跡」 / はちなび「口留番所跡」 / 人物事典 幕末維新「案下の口留番所と松姫の石碑」 / 城旅人「浄福寺城(案下城) 浄福寺 大石家が築城し北条家が改修した山城」 / タウンニュース「『夕焼小焼』の詩、誕生100年 恩方出身中村さんが作詞」 / 一般社団法人日本童謡協会「中村雨紅の『夕焼小焼』」 / AXESQUIN ELEMENTS「夜の女たちが行き交った甲州裏街道を行く」 / FunUp「台風19号による登山道・道路通行止め情報」
この記事は連載「桑都の風土記」第13話です
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