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桑都の人 · 公開: 2026.09.23 · 7分で読めます

横山党と横山時兼 —— 武蔵七党随一の武士団は、なぜ姻戚のために滅んだか

八王子最大の中世武士団「横山党」は、なぜ和田合戦への加担からわずか数日で歴史から姿を消したのか。姻戚関係の実態と合戦の経緯、そして「元横山町」という地名に残る記憶を複数の資料から読み解きます。

年代を感じさせる古地図の細部

JR八王子駅北口から歩いて15分ほどの「元横山町」——何気ない町名の下に、800年以上前にこの地を治めていた武士団の記憶が眠っています。武蔵七党の中でも最大の勢力を誇り、傘下70氏族を従えたとされるその一族は、しかしある一族との縁組がきっかけとなって、わずか数日のうちに歴史の表舞台から姿を消しました。横山党と、その最後の惣領・横山時兼(よこやま ときかね)の軌跡を、複数の資料を突き合わせながら辿ります。

連載「桑都人物誌」第16回|この連載をまとめて読む


横山党とは何か —— 武蔵七党随一の武士団

横山党は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて武蔵国多摩郡横山庄——現在の東京都八王子市元横山町付近を本拠とした武士団です。武蔵国を中心に在地武士たちが結びついてできた同族的武士団「武蔵七党」の一つに数えられます。

その規模は七党の中でも最大とされ、横山・小野・目黒・海老名など傘下は70氏族に及んだと伝えられます。勢力範囲も武蔵国内にとどまらず、上野国、相模国(現在の神奈川県相模原市・愛甲郡)、さらには甲斐国(現在の山梨県上野原市)にまで庶流が広がっていました。八王子駅から徒歩圏という現在の感覚では想像しにくいほど、横山党は関東一円に根を張った武士団だったのです。

後に「桑都」として織物の産地になる八王子ですが、その歴史をさらに遡ると、この横山党の時代に行き着きます。中世の八王子は養蚕や織物ではなく、朝廷に献上する馬を育てる牧の地として、まず歴史に姿を現したことになります。


小野氏から横山氏へ —— 成立の伝承

横山党の祖は、平安初期の学者・小野篁(おの の たかむら)の後裔とされる小野氏の一族と伝えられています。924年(延長2年)、この小野氏の一族が現在の元横山町の地に山城国・石清水八幡宮を勧請したとされ、これが後の八幡八雲神社の起源になったと伝えられます。

その後この地を開拓して「横山村」と名づけ、朝廷へ献上する馬を育てる牧(横山庄)の別当職を務めたことから、小野姓から横山姓に改めたとされています。多摩丘陵一帯をかつて「横山」と呼んでいたことに由来する名称であり、特定の一地点の地名に由来するものではないとされます。なお、開祖の個人名については参照した資料の間で表記に揺れがあり、確定的な人名は特定できていません。あくまで「牧の管理者が武士団の祖となった」という土地に根ざした成立過程として捉えるのが妥当でしょう。


鎌倉幕府草創期の躍進 —— 横山時広・時兼父子

横山党の武功の系譜は、鎌倉幕府成立以前にもさかのぼります。陸奥国で起きた前九年の役(1051年〜1062年)において、横山党の武将・横山経兼(つねかね)が源頼義(みなもとの よりよし)に従軍し、戦功をあげたと伝えられます。この従軍を機に、横山氏は武蔵の在地領主から、中央の軍事貴族・源氏と主従関係を結ぶ武士団へと性格を強めていったと考えられています。もっとも、従軍者の実名や戦功の具体的内容は後代の系図・軍記類に基づく記述であり、同時代史料での直接の裏付けは確認できていません。

それでも河内源氏との結びつきという文脈で見れば、約120年後の頼朝挙兵への迅速な参陣も、決して唐突な選択ではなかったことがうかがえます。1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、横山時広・時兼父子はいち早くこれに参陣し、軍功を立てて鎌倉幕府の御家人に列せられたと伝えられます。横山時兼は、横山氏がもとは小野朝臣姓であったことから、小野時兼とも称しました。

1182年には、源頼家(頼朝の嫡男)誕生の際、時兼は梶原景時ら有力御家人とともに御護刀を献じる役目を務めたとされ、幕府内で相応の地位にあったことがうかがえます。1190年の頼朝上洛には随行して右馬允(うまのじょう)に任官し、1200年(正治2年)には淡路国守護に任じられたとされます。地方の在地武士団が、鎌倉幕府の成立とともに中央の要職にまで連なっていく——横山党の全盛期は、まさにこの時期にありました。横山党一族からは椚田氏・海老名氏・矢部氏・相原氏など多くの分家が分かれ、武蔵国内外に所領を広げてもいます。


和田義盛との姻戚関係 —— 運命を分けた縁組

横山時兼は仁平3年(1153年)に生まれました。父は横山時広。そして、この時兼の代に、横山党の運命を決定づけることになる一つの縁組が結ばれます。時兼は、鎌倉幕府の有力御家人・和田義盛(わだ よしもり)と姻戚関係にありました。時兼の妹、あるいは娘が和田氏に嫁いだとされる系譜が伝わっています。

和田義盛は、鎌倉幕府の侍所別当を務めた重鎮です。侍所別当は御家人の統率や軍事・警察機能を担う幕府の要職で、義盛はその初代を務めた人物でした。武蔵の在地武士団の惣領と、幕府草創期からの有力御家人が姻戚で結ばれる——それ自体は当時の武家社会では珍しくない縁組でした。しかし鎌倉幕府内部では、この時期、北条氏が着実に権勢を強めつつありました。有力御家人同士のこうした結びつきが、やがて幕府内の権力闘争に否応なく巻き込まれていく伏線になります。


和田合戦 —— 一夜にして滅んだ武士団

建暦3年(1213年)5月、和田義盛は権勢を強める北条義時(ほうじょう よしとき)の打倒を掲げて挙兵しました。世にいう和田合戦です。義盛は姻戚関係にあった横山時兼、そして従弟の三浦義村(みうら よしむら)らと結び、北条方への対抗を図りました。

横山時兼は3000騎ともいわれる大軍を率い、横山党を挙げて鎌倉へ出陣します。しかし、参陣予定であった腰越への到着が遅れました。さらに、合流を約していた三浦義村が直前に北条方へ寝返ったことで、和田方の計画は根底から崩れます。

鎌倉・由比ヶ浜での戦闘で、和田・横山連合軍は北条方に敗れました。討死者を記録した合戦注文によれば、和田方では和田一族13人、そして横山党だけで31人もの名のある武将が討死したと記録されています。関東随一を誇った武士団が、わずか数日の戦闘で壊滅的な打撃を受けたことになります。

敗戦を悟った横山時兼は、和田常盛(義盛の子)らとともに鎌倉を脱出し、甲斐国都留郡——現在の山梨県上野原市周辺まで逃れました。そして建暦3年5月4日(1213年5月25日)、波加利荘の坂東山償原別所で自刃して果てます。享年61でした。姻戚関係という一つの縁が、武蔵七党随一の武士団をここまで運命づけたのです。


滅亡後の横山庄 —— 「元横山町」という地名に残る記憶

和田合戦後、横山党の本拠地であった横山庄は、幕府政所別当・大江広元(おおえの ひろもと)に与えられました。これにより、横山氏による武蔵国内での在地支配は事実上終焉します。関東一円に70氏族を従えた武士団が、一つの合戦への加担によって本拠地ごと失われた瞬間でした。

しかし、地名としての「横山」は現在まで残りました。八王子市の中心市街地には今も「元横山町」の町名が伝わり、現在の横山町・八日町の商店街も、この中世の地名を継承する地域にあたります。昭和11年(1936年)9月24日には、横山党の根拠地とされる八幡八雲神社境内の一帯が、東京都の旧跡「横山党根拠地」に指定されました。

現存する史跡としては、この八幡八雲神社のほか、和田合戦の翌年にあたる建保2年(1214年)創建と伝えられる横山神社が同じ境内に鎮座しています。妙薬寺には横山氏の墓とされる宝篋印塔「横山塔」が戦国時代の建立として伝わり、横山党の分家・矢部氏の拠点とされる矢部城跡も市内に残っています。

一族の広がりもまた、この武士団のもう一つの記憶です。横山党からは海老名・愛甲・荻野・大貫・室伏・大串・平山・古市など多くの氏族が分かれ出たとされます。鎌倉幕府創設に際して源氏方についたことから、その後も各地に所領を得て広がったと伝えられます。

加賀藩(現・石川県)の家老を務めた横山家や、出雲国・松江の美保神社の神主職を務めた家系など、全国の「横山」姓の家系が、そのルーツを横山党に求めているといいます。一つの武士団が滅びた後も、その名字だけは分家を通じて各地に運ばれ、独立した家系の由緒として語り継がれていったことになります。800年以上前に滅びた武士団の記憶が、駅前商店街の町名として、そして各地に散った「横山さん」たちの家系伝承として、現在まで息づいている——横山党の物語は、そのことを静かに教えてくれます。


まとめ

横山党は、平安末期から鎌倉初期にかけて関東随一の勢力を誇った武士団でした。牧の管理から興り、鎌倉幕府草創期には中央の要職にまで連なりながら、最後の惣領・横山時兼の代に結ばれた和田義盛との姻戚関係が、皮肉にも一族の滅亡を招きます。和田合戦での敗北からわずか数日で本拠地・横山庄を失った横山党でしたが、「元横山町」という地名と、各地に散った「横山」姓の家系伝承は、800年の時を超えて今日まで受け継がれています。次に元横山町の商店街を歩くときは、この土地がかつて関東随一の武士団の本拠地だったことを、少し思い出してみてください。桑都の礎を築いた、もう一つの一族の記憶です。


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連載「桑都人物誌」は、八王子を形づくった人物を一人ずつ辿るシリーズです。


参考文献

八王子市ホームページ「横山党根拠地」 / コトバンク「横山党」(百科事典マイペディア/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典) / ニッポン旅マガジン「横山さんのルーツを探せ!」 / 鎌倉武将本家「横山党【横山時兼】2分解説」 / 日本実業出版社「横山一族の本拠地」

この記事は連載「桑都人物誌」第17話です (全20話・更新中)

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カヅキ

カヅキ

桑都手帖 編集者

ものづくりや意匠設計を学んだ経験をもとに、八王子の風土・歴史・伝統工芸を現代につなぐ記事を書いています。暮らしの手続きについても、調べたことをそのまま書き留めています。