本文へスキップ
あと7分 購読

桑都の人 · 公開: 2026.09.04 · 更新: 2026.09.14 · 7分で読めます

柴田榮吉 —— 農家の四男が婿入りで継いだ商家から、初代八王子市長へ

年代を感じさせる古地図の細部

多摩郡の農家に生まれた四男が、婿入り先の八王子の商家を足がかりに、繭糸取引・撚糸業・ガス事業と次々に手を広げ、やがて「町」を「市」に変える立場に立つ——そんな一代記が、大正6年(1917年)の八王子市制施行の裏にあります。初代八王子市長・柴田榮吉がどのような道筋でその場所にたどり着いたのかを、一次資料から辿ります。

連載「桑都人物誌」第14回|この連載をまとめて読む


芋窪村の四男が、八王子の笠屋を継いだ

柴田榮吉は1856年7月16日(安政3年6月15日)、武蔵国多摩郡芋窪村(現・東京都東大和市芋窪)に生まれました。生家は農業を営む家で、榮吉は四男という立場でした。江戸時代から明治にかけて、農村部の次男以下は家督を継げないため、婿養子や奉公といった形で外に出るのが一般的な経路でした。榮吉もその例に漏れず、19歳になった1875年(明治8年)、八王子で笠屋を営んでいた柴田家へ婿養子として入ります。以後、榮吉は生涯を八王子で過ごすことになりました。

農村から商家への婿入りというこの経歴は、当時の多摩地域の商家によくみられる継承パターンの一つでした。周辺農村部から有能な人材を婿養子として迎えることで、家業と地域経済の担い手を確保する——柴田家もまた、そうした仕組みの中で榮吉を迎え入れた一例といえます。ここから、榮吉の八王子での歩みが始まります。


繭糸取引所・撚糸組合・ガス事業 — 実業家としての歩み

婿入りしてから約20年、柴田榮吉は笠屋の当主としてだけでなく、八王子を代表する産業の担い手として頭角を現していきます。1894年(明治27年)7月、榮吉は八王子繭糸取引所の常務理事に就任しました。繭糸取引所は、桑都・八王子の基幹産業であった生糸・繭の取引価格を安定させ、産地としての信用を担保するための組織です。織物のまち八王子にとって、原料である繭・生糸の価格が安定しているかどうかは、機屋(はたや)の経営そのものを左右する死活問題でした。

1896年(明治29年)には、榮吉自身が八王子撚糸製造組合を創設し、頭取(組合の代表)に就きます。撚糸とは、生糸や絹紡糸に撚りをかけて織物用の糸に仕立てる工程で、織機で布を織る機屋を支える上流工程の産業です。八王子の織物業は、単に反物を織るだけでなく、原料の糸を仕立てる撚糸業までを含めた分業体制の上に成り立っており、榮吉はその川上を組織化する立場に立ったことになります。

榮吉の撚糸業への関わりはこれで終わりません。1898年(明治31年)には撚糸製造業組合を新たに設立したと伝わっています。ただし同時期には近い名称の組合が複数存在する記録があり、名称変更や組織再編の可能性を含め詳細は特定できていません。それでも、撚糸という一つの産業を組織化し続けようとした榮吉の姿勢がうかがえます。榮吉が組織した八王子撚糸製造組合が生まれた背景には、既に明治32年(1899年)設立の八王子織物同業組合が組合員約3,900名・手織機11,300台という規模を抱えていたことがあり、織物業全体が組合という形で結束を強めていた時代だったことが分かります。

1901年(明治34年)、榮吉は八王子町の助役に任命されました。繭糸取引・撚糸業という「地域のインフラ」に関わってきた実業家としての経験が、そのまま町政運営の基盤になっていったと考えられます。

さらに1911年(明治44年)には、八王子瓦斯(ガス会社)の創設にも関わったとされています。なお、八王子における都市ガス事業の始まりを独立に確認できる資料では「1912年(大正元年)設立」との記載もあり、設立年に1年の差異が見られます。榮吉がどのような立場(発起人・出資者等)で関わったかも含め、確定的な一次資料での裏付けはまだ十分ではありません。繭糸から撚糸、そして都市ガスという生活インフラへ——榮吉の関心は、織物という一業種の枠を越えて、八王子という町そのものの基盤整備へと広がっていきました。


二度の町長職と、拡大する八王子町

実業家として地歩を固めた柴田榮吉は、やがて八王子町長という立場で町政の舵を取ることになります。榮吉は八王子町長を二度務めました。第6代(1903年〜1905年頃)と、第10代(1916年〜1917年)です。二度目の町長就任は、後述する市制施行のわずか前という時期にあたります。

榮吉が町長を務めた時代の八王子町がどれほどの規模だったかを振り返ると、その変化の大きさが見えてきます。明治22年(1889年)の町制施行時点で、八王子町は神奈川県南多摩郡に属し、人口約20,000人・面積7.30平方キロメートルの規模でした。明治26年(1893年)、三多摩地域(南多摩・北多摩・西多摩)は神奈川県から東京府へ移管され、八王子町も東京府南多摩郡の町となります。榮吉が二度目の町長に就いた大正5年(1916年)前後は、この移管から20年余りを経て、後述する第一次世界大戦の好況を背景に人口・産業規模が急拡大していた時期にあたりました。


大戦景気から戦後恐慌へ — 市制施行前夜の八王子

榮吉が二度目の町長職にあった時期、八王子の産業は大きな波にさらされていました。大正3年(1914年)、第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ各国の生産力低下によって日本の生糸・織物輸出が急増し、八王子の織物業界にも戦時好況(大戦景気)がもたらされます。この時期、力織機(電動力を用いる織機)の導入が加速し、機屋が農村部から都市部へ移転して電力を確保する動きが進みました。明治43年(1910年)に八王子で電動力の供給が始まっていたことが、この機械化の流れを後押ししていました。

しかし、この好況は長くは続きませんでした。大正9年(1920年)3月、第一次世界大戦の反動による「戦後恐慌」が発生します。ヨーロッパ列強が生産市場に復帰したことで日本の輸出は一転して不振に陥り、株価が大きく下落しました。生糸は八王子織物の主原料であったため、生糸価格の暴落は地域産業全体に打撃を与えます。

それでも大正10年(1921年)には八王子撚糸工業発会式が開かれており、恐慌後も撚糸業界が組織的な立て直しを図っていたことがうかがえます。柴田榮吉が初代市長として在任した大正6年(1917年)12月から大正10年(1921年)12月までの4年間は、まさにこの「大戦景気の絶頂から戦後恐慌への転落」という時代の転換点と重なっていました。榮吉自身、かつて撚糸製造組合の頭取として組織してきた業界が、好況と恐慌という両極端を市長という立場から見届けることになったのです。


「町」から「市」へ — 初代八王子市長として

そして迎えたのが、大正6年(1917年)9月1日です。この日、八王子町は市制を施行し、八王子市となりました。これは東京府内では東京市に次いで2番目の市制施行であり、南多摩地域における中心都市としての地位を制度的に確立するものでした。

市制施行時点の人口は42,043人で、明治22年の町制施行時(約20,000人)からおよそ倍増していたことになります。面積は7.30平方キロメートルで、町制期と変わっていません。人口だけがおよそ2倍に膨らんだ町が、制度上「市」という新しい器を得た瞬間でした。

柴田榮吉は、市制施行日の9月1日にまず市長代理に任命され、同年12月14日に正式に初代八王子市長に就任します。第10代町長からそのまま初代市長へ移行する形でした。在任中の施策としては、塵芥(ごみ)清掃事業の市営化、市営火葬場・市営墓地の設置などが伝えられています。

都市化の進展に伴う衛生・生活基盤の整備を、町から市への移行期に合わせて進めたことになります。ただし、これらの具体的施策の記述は市政史の記録に基づくもので、当時の市議会議事録等での直接的な裏付けまでは確認できていません。榮吉は1期(大正6年12月14日〜大正10年12月13日)でこの職を退任しました。

農村の四男として生まれ、婿入りで商家を継ぎ、繭糸・撚糸・ガス事業という地域インフラの担い手となり、最後は行政の長として「町」を「市」に変える——榮吉の歩みは、明治から大正へと移り変わる時代の中で、八王子という町自体が近代都市へと姿を変えていく過程と重なっています。


退任後の柴田榮吉

初代市長を退任した後も、榮吉の歩みは終わりませんでした。大正13年(1924年)、衆議院議員総選挙に立憲政友会から立候補しますが、この選挙では落選しています。実業家・行政家として八王子の近代化を主導してきた榮吉にとって、国政の舞台への挑戦は思うようにいかなかったことになります。その後の詳しい活動を記録した資料は、今回の調査では見つかりませんでした。

柴田榮吉は1950年(昭和25年)に死去しました。享年は満93〜94歳にあたります。安政年間に生まれ、明治・大正・昭和という3つの時代を生き抜き、八王子が町から市へと変わる転換点にちょうど立ち会った生涯でした。


まとめ

柴田榮吉の生涯は、多摩郡の農家の四男という出発点から、婿入りで継いだ八王子の商家、繭糸取引所・撚糸組合・ガス事業といった実業、そして初代八王子市長という行政の頂点まで、一つの糸でつながっています。大正6年9月1日、八王子町が市制を施行して八王子市になったその日に、榮吉は市長代理としてその場に立っていました。個人の一代記であると同時に、桑都・八王子が近代都市へと姿を変えていく歴史そのものでもあります。


この連載の他の記事

連載「桑都人物誌」は、八王子を形づくった人物を一人ずつ辿るシリーズです。


参考文献

この記事は連載「桑都人物誌」第14話です (全20話・更新中)

家族信託という選択 —— 認知症に備える新しい財産管理の形

暮らしと法律 · 8分

読む

Support

この記事が面白かったら、書き手の活動を応援していただけると励みになります。

※ Stripe決済(合同会社月香が運営)で安全にお支払いいただけます

カヅキ

カヅキ

桑都手帖 編集者

ものづくりや意匠設計を学んだ経験をもとに、八王子の風土・歴史・伝統工芸を現代につなぐ記事を書いています。暮らしの手続きについても、調べたことをそのまま書き留めています。