家族信託という選択 —— 認知症に備える新しい財産管理の形
認知症で判断能力が失われると、預金の引き出しや不動産の売却ができなくなる「資産凍結」が起きます。家族信託とは何か、成年後見制度と何が違うのか、八王子市の相談窓口までを事実ベースで整理します。

この記事の目次
認知症などで本人の判断能力が失われると、銀行窓口では預金の引き出しも不動産の売却もできなくなります。いわゆる「資産凍結」です。この対策として近年広がっているのが、信頼できる家族に財産の管理を託す「家族信託」という仕組みです。何ができて何ができないのか、成年後見制度とどう違うのか、そして八王子市でどこに相談できるのかを、公的な制度情報に基づいて整理しました。
連載「暮らしと法律の手帖」第14回|この連載をまとめて読む
家族信託とは何か —— 3人の当事者と「自益信託」の仕組み
家族信託は、法律上は信託法に定める「民事信託」の一形態です。正式な制度名ではなく、委託者・受託者・受益者がいずれも家族であることが多いケースを指す通称にすぎません。
この仕組みには3人の当事者がいます。財産の所有者であり信託を設定する「委託者」、委託者から財産の管理処分権を受け取る「受託者」、そして管理によって生じた利益を受け取る「受益者」です。
多くの家族信託は、委託者自身が受益者を兼ねる「自益信託」の形で始まります。財産の実質的な所有権(受益権)が委託者本人に留まったままなので、信託契約を結ぶこと自体が贈与とみなされることはありません。信託財産は名義こそ受託者に移りますが、受託者個人の財産や委託者の他の財産とは完全に分離された独立の財産として扱われます。これを倒産隔離機能と呼びます。
制度の背景 —— 2007年施行の改正信託法が普及の土台に
家族信託が広がった背景には、法制度の大きな見直しがあります。日本の信託法は大正11年(1922年)の制定以来、実質的な改正がないまま80年以上が経過していました。
高齢社会の到来を受け、後見的な財産管理や遺産承継を目的とする民事信託への期待が高まったことなどから、法務大臣は2004年に法制審議会へ信託法の全面改正を諮問します。2006年2月に改正要綱が答申され、同年3月に信託法案が国会に提出、12月に可決・成立しました。そして2007年9月30日、改正信託法が施行されます。
この改正では、受託者の義務規定の合理化に加え、信託監督人・受益者代理人制度の創設など受益者の権利行使を実効的にする規律が整備され、自己信託・遺言代用信託・受益者連続型信託といった新しい類型も法制化されました。信託監督人や受益者代理人は、受益者本人が認知症などで自ら意思表示できなくなった場合に、受益者に代わって権利を行使する立場です。こうした制度整備により、家族間で財産管理を託す信託契約が組成しやすくなり、その後の家族信託普及の法的基盤になったのです。
遺言代用信託は、委託者の生存中は自らを受益者とし、死亡後は配偶者や子どもなどあらかじめ定めた者を受益者とする仕組みです。遺言によらず、財産分配のあり方を信託契約で定められます。受益者連続信託は、受益権が配偶者からその死亡後は子へと段階的に移転していくよう設定するもので、二次相続以降の財産承継先まで指定できる点が特徴です。
成年後見制度との違い —— 同じ「本人以外が管理する」でも性質が異なる
家族信託とよく比較されるのが成年後見制度です。どちらも「本人以外の者が財産管理を担う」点は共通していますが、性質は大きく異なります。
成年後見制度では、家庭裁判所が選任する成年後見人が、本人の財産を保護する立場で管理します。財産の処分や運用には家庭裁判所の許可や監督が必要な場合が多く、資産運用や相続税対策など、財産を積極的に活用する行為は基本的にできません。一方で、施設入所契約や医療同意に関わる契約行為を代理する「身上監護権」を持つのは成年後見制度の特徴で、家族信託にはこの権限がありません。
家族信託は、誰が・何を・どう管理するかを委託者と受託者の間で自由に設計できます。不動産の売却や建て替えなど、成年後見制度では難しい柔軟な財産管理・処分が可能です。ただし受託者の選任・監督の枠組みを契約で作り込まないと、権限濫用や親族間トラブルの原因になりかねません。
もう一つ重要な点があります。判断能力の低下により法定後見の利用が始まると、本人による新たな信託契約の締結はできなくなります。契約は意思能力を要する法律行為だからです。つまり家族信託は、本人の判断能力があるうちに検討・契約しておく必要がある制度だということになります。
組成の手続きと費用相場
実際に家族信託を始めるには、いくつかの段階を踏みます。まず弁護士・司法書士・税理士など専門職への相談から始まり、委託者と受託者の間で信託契約書案を作成します。信託目的、財産の範囲、受託者の権限、受益者、信託の終了事由などを定める作業です。
次に、信託専用口座(信託口口座)の開設を希望する金融機関へ事前に相談し、公証役場で信託契約書を公正証書にします。金融機関から契約書内容の修正指示が入ることもあるため、公正証書化の前に金融機関との調整を済ませておくことが望ましいとされています。最後に、不動産の信託登記や信託口口座への預貯金移動といった名義変更を行い、手続きが完了します。
費用面では、司法書士等への信託組成コンサルティング報酬が信託財産評価額のおおむね1%前後、公正証書作成の公証人手数料が3万〜10万円程度とされます。不動産の信託登記費用は司法書士報酬がおおむね8万〜12万円程度で、登録免許税は建物が固定資産税評価額の0.4%、土地が0.3%です。専門家に一連の手続きを依頼した場合の総額目安は、おおむね30万〜100万円程度とされています。
デメリットと注意点 —— 万能な対策ではない
家族信託には注意すべき点もあります。まず税務面では、租税特別措置法の規定により、信託財産である不動産から生じた損失は所得税の計算上「なかったもの」とみなされます。委託者が信託財産以外に個人所有の黒字不動産を持っていても、信託財産の赤字と損益通算することはできません。
契約設計の不備も落とし穴になります。信託終了後に残余財産を受け取る「帰属権利者」を契約書に定めていないと、残余財産が相続人全員の共有財産となり、後の遺産分割トラブルの原因になり得ます。また、受託者が死亡・辞任した際の後継受託者があらかじめ定められていないと、受託者が欠けた状態が1年間継続した場合に信託そのものが終了してしまいます。
財産管理を託されなかった他の相続人に、信託の設計・締結の経緯が十分共有されないまま進むと、不公平感や不信感からトラブルに発展するケースもあります。
信託財産とする不動産の範囲によっては、自宅を売却した際の3,000万円特別控除など、将来利用を想定する税制上の特例に影響し得ることも見落とされがちです。家族信託は万能な対策ではなく、税理士や司法書士など専門家の関与のもとで、家族全員の理解を得ながら設計することが重要です。
八王子市の相談窓口 —— 判断能力があるうちに動くための入口
認知症などにより判断能力が低下する高齢者は、今後も増えていくと見込まれています。厚生労働科学研究費補助金による認知症の将来推計(研究代表者:二宮利治・九州大学大学院教授。福岡県久山町・島根県海士町など4地域の65歳以上7,143人を対象とした2022〜2023年度の悉皆調査+専門医診断による)では、2022年時点の65歳以上の認知症有病率は12.3%、軽度認知障害(MCI)の有病率は15.5%とされています。さらに2040年には65歳以上の認知症患者数が約584万人、7人に1人に達すると推計されており、これは前回2014年度の厚労省研究事業による推計値より約218万人少ない結果ですが、それでも大きな数字であることに変わりはありません。
家族信託は判断能力があるうちにしか契約できない制度です。認知症の発症は誰にとっても他人事ではなく、検討するなら早めに専門家へ相談する必要があります。
八王子市では、八王子駅南口総合事務所で司法書士法律相談を毎月第3火曜日・第4水曜日に実施しており、相続全般の相談、成年後見制度、家族信託が相談対象として明記されています。予約はオンライン(毎週金曜日に翌週分の受付開始)または電話(相談日の6日前から先着順、042-620-1164)で受け付けており、市内住民登録者が対象、相談時間は最大30分です。
このほか、法律相談(弁護士)は火・水・木曜が八王子駅南口総合事務所、月曜が市役所本庁舎、金曜が南大沢事務所で実施されています。行政書士相談は毎週木曜、登記相談は毎月第1火曜です。東京司法書士会でも、四谷・三多摩の総合相談センターやWEB・電話・出張相談で、家族信託を含む相続関連相談に対応しています。
まとめ
家族信託は、認知症による資産凍結に備え、判断能力があるうちに財産管理の権限を家族へ託しておく仕組みです。成年後見制度と違って柔軟な資産活用ができる一方、身上監護権は持たず、契約設計を誤るとトラブルの種にもなります。制度の仕組みと限界を理解したうえで、専門家への早めの相談から始めるのが現実的な一歩です。「まだ元気だから」と先送りにしているうちに検討の窓は閉じてしまうことを、この制度の設計は物語っています。
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連載「暮らしと法律の手帖」は、八王子で暮らすうえで知っておきたい法律・制度を1つずつ取り上げるシリーズです。
- 前の回: 個人情報保護法が変わる —— AI活用と引き換えに何が緩み、何が強まるのか
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参考文献
三井住友信託銀行「民事信託(家族信託)とは? 資産管理・承継」 / 一般社団法人家族信託普及協会「用語集」 / 信託協会「法改正と、現在の信託」 / 家族信託普及協会系サイト「成年後見と家族信託の違いについて解説」 / Authense法律事務所「成年後見制度と家族信託の違いとは?」 / ファミトラ「家族信託の費用相場とは?」 / トリニティ・テクノロジー『おやとこ』「家族信託は後悔する?よくある失敗事例12選」 / 八王子市公式ホームページ「無料専門相談」 / 福祉新聞Web「認知症の将来推計が大幅低下 2040年、65歳以上で584万人」
暮らしの手続きで迷ったら
相続や空き家、成年後見といった手続きは制度が入り組んでいて、「まずどこに相談すればいいのか」が分かりにくいものです。桑都手帖は、八王子で暮らす方に向けて制度の基本を記事にまとめています。
具体的なご相談は、まず八王子市の無料専門相談(法律・相続・不動産・税務など/予約制・無料)が入口になります。
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この記事は連載「暮らしと法律の手帖」第14話です
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